杉村太郎という人物をご存知か。
3回生なら書店の就活本コーナーで見かけたことがあるかもしれない。
先生と杉村で勘違いなさる方が多いが、
議員になって早々に議員給料云々言って顰蹙を買い、
一期で終わったあの太蔵センセーではなく。
ワタクシがこの杉村太郎氏を知ったのは就職活動期であるから
10年くらい前のことになる。
その当時はエントリーシート郵送、そして履歴書送付の最後のころである。
今のように企業へのエントリーをネットでするはない最後の時代か。
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そのころは自己分析というのが活況を呈していたのである。
そのころに一番有名だったのは、かの有名な中谷彰浩先生である。
(HPでは「転換期」という項目でも書いたが、『面接の達人』の著者)
しかしながら、普通の受験参考書が面白くなかったので、
古文の勉強に「方丈記をひたすら訳す」という変わり者が
人と同じものを同じようにしても面白く感じなかった。
そこで見つけたのが、当時我究館という所の館長だった杉村太郎先生の
『絶対内定』という分厚い本だった。
今思えば、ワタクシは分厚い本が好きなようである。
この前の『木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』もそうだが、
『金持ち父さん貧乏父さん』とか、『モテる技術』とかの影響をもろに受けている。
“金持ち”も“モテる”も見事にその効用を得ておらんのだが。
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まあそれはそれとして、この杉村太郎先生の著書の中に
先般、『アツイコトバ』(ダイアモンド社)というのがあることを知る。
その一部を抜粋するとこんなのがある。
「死ぬ気でやれよ、死なないから。」
ま、確かに。
過去に自分が死ぬ気でやっていたと思ってた事も、結局今死んでない。
仕事にしても、勉強にしても、運動にしても大体そういうものである。
おおよそ人間にはリミッターがあって、疲れすぎないように
ダメージがたまり過ぎないように身体はできているのである。
だから死ぬ気くらいのつもりで、全身全霊をかけて
何か自分が大事だと思うものに真摯に取り組んでみろ、ということである。
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そんなアツい事をいう杉村太郎先生にみんな興味を持ったかな?
人物評をウィキを参考に書いてみる。
聖光学院高、慶応義塾大を経て、住友商事入社(バブル前)。
現・東京プリン伊藤と“シャインズ”(社員ず)というバンドで活動し、売れる(バブル)。
仕事が忙しくなって、シャインズの活動ができないから転職、人事部で仕事。
その後独立、我究館で『絶対内定』を書く。
我究館があるのにアメリカに行き、ハーバード大学の大学院を卒業。
そのときに英語で苦労したから、海外の大学へ行くための英語塾を作り、
ならびに勉強方法の本を書く。
2011年8月、がんのため死去(享年47歳)。
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ここまで書くと当然言うべきことは、「おいおい死んどるやんけ」である。
でもこれくらいのノーリミッター状態で生きても、30年生きたわけである。
無論、ボクシングのダメージはまさしく生死を左右しかねないので
死ぬ気でやってみろとか、とてもよう言えないのだが、
それ以外のもの(マス・スパー以外のジムワークや、ロードワーク、
ビデオでの対戦相手の攻撃パターンを分析など)は
それこそ死ぬ気でやってもよいかもね。
本気で達成すべきだと思うものがあるならば。
by 原田隆史先生の本をはじめて読んだときに『絶対内定』を思い出した、かんとく