本日のリーグ・対関大戦で、2-7ですか。
まだ試合のビデオも見ていないし、試合の様子も報告受けてないので
なんともいえませぬが。
前の関関戦では4-5だったのに、と比較しても始まらないが、
これは大いに心理的影響もあろうと思う。
前年、大敗していたから今年の関関戦は何としても、と思って
選手は準備してきたのだと思う。
だから、負けは負けでも4-5というスコアになった。
が、今回の試合は関大さんのほうが“締めて”かかってきたのだと思う。
逆に関学の方に、前回の試合結果を受けての、“緩み”があったのだろう。
あえて今そんなんなくてもいい様な、あるいはせんでもええようなことが起こっていた。
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前にも書いたことがあるが、山本七平著『空気の研究』(文芸春秋)の言を借りると、
日本と日本人には“空気”というものが存在する。
“なんとなく”こう決まった、というものであり、著者は太平洋戦争にいたる場面で
日本の最高峰の頭脳の集まりであるはずの参謀会議でも、
「このままく戦争へ向かう方向はまずいのでは?」ということが憚られる“空気”の影響で、
開戦への導線がすでに決まっていた旨を論じている。
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選手が今から思えば、という点に気づいていることがあるのならば、
それこそ練習ノートなどに記述しておくべきものでると思う。
何のためか。
それは次の試合のためでもあるし、来年のリーグに向けてのものでもある。
そして、自分が部というフィールドから巣立ち、社会人となったときでも
組織としては本来あっては拙い筈の“空気”に出会うかもしれない。
そのときに、「この道はいつか来た道」的に、なんとなくまずい場面だと
感じ取れるようになることは、非常に重要なものであると思う。
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ワタクシが勝手に“まずい”と感じ取るもの。
関学スポーツの取材での試合後の主将の言葉。
「次につながる試合だった。次の大商大戦は、挑戦者の気持ちで挑みたい」
(http://univ.nikkansports.com/press/kwangaku/boxing/008904.html)
なんかすごく気持ち悪い文章である。
いつあなたは“挑戦者”であることをやめたのですか?
いつあなたはチャンピオンになったのですか?
ボクサー、そして関学のボクシング部員はいつでも
“挑戦者である”という意識でなければならんと思うのだがいかがか?
じゃなきゃ人間成長が妨げられると思うのだが。
by かんとく