『嫌な指導者』について byかんとく

昨日、皮肉(アイロニー)の数々を書いたが、読む人によっては

「かんとくは、やっぱり悪者になりきれないんですな」という。

いやあ、書いていることは本音ですが(ニヤリ)。

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「ダメージ受けたら困るのは本人」というのは本音だ。

だから「ボクシングは危ない競技だ」ということも、隠さず言っている。

でも、直接的には自分に関係の無い人間がダメージを受けることでも、

関係者としてはそうなってほしくない。

況や身近な人間をや、である。

そうならせたくないから、言うことがある。

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例えば「走らないとあかんぞ」と指導者は言う。

本人だって現役のときに走るのが好きだったかといえば、

ほとんどの指導者は「NO」というだろう。

選手のその気持ちがわかるからといって、

別に選手が走らんでよいと言いというのは簡単だ。

選手が走らなくたって、指導者としては痛くもかゆくもなく、

走っている姿を見たからといって、メリットなんてない。

がいざ試合で、スタミナ不足の為、勝てる試合を落とすなんて見なくもないし、

ましてやそこで打ち込まれる選手なんて、想像したくもない。

だから、走れ、スタミナをつけろ、と言うのである。

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他のことでも同じである。

選手がバッグを打っている姿を見ても、指導者として得られる物なんてない。

部室を掃除している部員を見ても、得られる物なんてない。

見ているものにメリットなんてないが、やっている本人、つまり選手には

メリットにまで行き着かなくても、将来的に見てやらないとデメリットになる事を、

多くの指導者は指導しているのだと思う。

ボクシングは相対的なものである。

相手より。パワーのある者、技術のある者、体力のある者、

精神力のある者が勝つ競技である。

だから、”無い”という状態に甘んじていてはならない。

今社会人生活を送っていて、思うことも近いものがある。

知識のある者、馬力をもって絶対数をこなす者、お客を口説く能力の高い者、

今がダメでもあきらめない精神力を持つ者は、やはり結果を残す。

ワタクシは今の生き方すなわち、将来の自分の生き方だ、と思うがいかがか。

by かんとく

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