『洗脳』について byかんとく

選手はもうすぐテスト期間か。

(実際授業最終日にテストをする科目もあるので、すでにテスト期間だが)

学ぶことに枯渇している選手達は、まるで減量後に飲む水のように、

脳髄の奥底まで、学問を染み込ませていることと思う。

今学期で20単位くらい余裕で取得するであろう(ニヤリ)。

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さて、学びついでに先般紹介した新堂冬樹著、

『カリスマ』という小説について語る。

この小説の初読は、ワタクシの大学時代。

2回生のときだったのでちょうど10年位前か。

新興宗教というものが、地下鉄サリン事件で注目された頃であった。

洗脳、というものは言葉では知っていたが、接する機会などなかったので

初読で衝撃を受けた。

まあエンターテインメント小説としても、あまりにもの俗物すぎる教祖が、

面白いので読んでホシイ。

(ただし、最初の描写がグロテスクすぎるので、妄想力の発達しすぎた人は

吐き気を催す可能性が高いが)

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さて、学問大好きな皆様に朗報。

簡単な洗脳方法には”睡眠学習”というものがある(ニヤリ)

小説の中に子どもの中学受験合格を願う親と、

肉親の病気平癒を願う人々を救うという名目で、1週間の合宿が開催される。

教祖は彼らの弱みに付け込んで、これに参加させるように誘導する。

(詳細は説明が面倒くさいので各々方、読まれませ)

過酷な修行で肉体と共に脳内のメモリーをパンクさせ、

粗食だけを取らせることで、パンクした脳内メモリーを回復させないという描写がある。

そして彼らの少ない睡眠時間にはヘッドホンを装着させて、

教祖が言う洗脳の言葉を延々と聞かせる。

本来ならば不要な情報としてガードをかけるのが人間であるが、

体力と脳内メモリーが大きく損なわれた状態ではそれが出来ない。

そして睡眠という一番ガードできない状態において、

その教祖の言葉が、延々と刻み込まれていくという具合である。

どっかの監督さんは、選手が疲れたときによく「ガードを上げろ」という。

どっかの監督さんは、この小説は笑えた箇所しか覚えていないが、

そういう箇所では”洗脳”されていたのかもしれない(ニヤリ)

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”洗脳”において、もう一つ大事なのは”毎日の修行”だ。

小説内では、「悟りの会」合宿に参加した者達に、毎日マントラ(お経のようなもの?)

を唱えるように、教祖が諭す。

”毎日の修行”は、ボクシングに置き換えるならば、普段の練習だ。

普段の練習をしているからこそ、そこにこだわりが生まれる。

だから少々の障害であれば、なんとかそれを取り除いて

目的達成しようとするのが人間の心理であろう。

何とかして、と思わないでも己が才能だけで、

世の中を渡っていける人間ばかりではない。

だからこそ過去の日本社会は、「真面目に」何かに向けて努力する人を褒めて、

洗脳してきたように思う。

そしてその洗脳は、その人の未来の為の日本人の知恵であったように思うが

いかがか?

よきに付け悪きにつけ、人は洗脳されやすい。

ちょっと前までは、多くの人が”ウォール街”教や”兜町”教に洗脳されていた。

洗脳なんてものは、要は何のため、誰の為のものであるか、

結局は自分自身が考え、自分自身に対して行うものだと思うが、いかがか?

by アマチュアボクシング教、兵庫教区、関学担当のかんとく

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