『人の性分』について byかんとく

本日仕事中、同居人から先般より受けていた就職先から

内定をもらったという携帯メールがきたので、就労後、先ほどまで祝宴を催す。

この先行き不透明な時代、転職は難しいというが、やはり手に職のある人間は強い。

この者は長々店長経験があるので、人のあしらいというか人間を見る能力が高い。

世の人間は。手に職というとまさしくの職業的テクニックと考えがちだが、

手に職とは畢竟、その人間が目の前の試練に耐え、工夫を重ねてきた事、

それ自体だと思う。

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同居人に昔の職場の話を聞くと(昔から何度も聞いていたが)、当時のこの男の職場は

福岡あたりにある旧帝大(それだけでわかる人にはわかる)の在学生と、

福岡辺りにいる考えの足りない大学生の、どちらかの学生ばかりであったという。

曰く、「やっぱり、言ったことに対する理解度は、全く違うわ。

旧帝大の学生は、1を言ったら2わかる学生ばかりだったから、

10言ったら最低15くらいわかってる。

でも他の大学生は10言っても、5わかるかわからんか位だったから

自ずと最初の理解に差があったなあ。

そういう意味ではエリートは最初は楽だけど、あほな学生を教えるのも面白かった。

あほな学生のほうが、なんやかんや言って纏まってなにかをやろうとするから、

店がだれてるとき、リーダーの人間を叱れば、その仲間はそいつの為に

必死になって仕事をこなそうとし、結果も出してたわ。

そういう意味では、エリートよりも仕事を振ってやる頻度は高かったかも。

まあ、そういいながらも、いっぺん良い結果を出すと、再度だれるんだけど」

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なるほどなあと思う。

昨今、監督が読んでおるのは、山崎豊子著『不毛地帯』である。

著書では、国家の存亡をかける軍事を担った軍参謀は能力は高く、

戦場以外の立場においてもその戦果も高かったというストーリーであった。

だが、彼には決して一兵卒の立場や覚悟なぞ理解しえぬであろう。

が、同時に一兵卒も、参謀の立場や思いなども理解し得なかったようである。

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ワタクシ自身が勝手に自己を分析するに、ワタクシは決して監督という立場が

適しているとは思えぬ。

どちらかというと、責任ある立場よりも、戦略戦術のほうに興味がある。

だが、任されたものはしょうがない。

自身の長所を活かしながら、足らぬは補いつつ対応するしかあるまい。

なんやかんや言って、そうやって自身の足りぬ部分を補いつつやってきたことが、

学生にしてみたら、「かんとくが監督なのは当たり前のこと」と

思っているのかもしれない。

自分のやってきていることが(任されたにしろなんにしろ)、

自分の成長の方向かもしれないね。

by そういいながらも、参謀的に論理的指導方法がまだ出来かねているかんとく

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