昨日夜勤の為、退社時間が早かったので、梅田駅のだだっ広い本屋に寄り、帰宅。
それでも帰宅は19時ごろだったので、昨晩の夕食休憩時に食べた肉つけ麺を
”勘”で作ってみた。
麺は盛り蕎麦とし、つけダレを必死こいて作る。
レシピ「肉つけ麺」
①ごま油をひいて、ひき肉と3cmくらいに切った葱をいためる。ニンニクチューブ少々。
②残っていた蕎麦のツユ(150ccくらい?)と水200cc、みりん、酒を適当に投入。
③醤油を適当に投入後、黒胡椒を10挽き。沸騰してきたら火を止める。
④蕎麦をゆで、水で締めてから、食す。
好みでゆず胡椒とか入れてもいいかもしれない。
味はちょっと薄かったかもしれない。塩分ではない。
つけ麺にはこってりとしたつけダレがおおいので、もっと油分を増やす必要があるか。
研究の余地アリ(でもしないだろう、ニヤリ)。
・・・・・
その後、冷たい食べ物にもかかわらず、男汁があふれ出してきたので
黒髪の乙女のように長風呂に浸かる。
本日購入の『思考の整理学』(外山滋比古著、筑摩書房)を読みながら。
まだ、ちょろっと最初だけ呼んだのだが秀逸の雰囲気を醸し出している。
久々に引用してみよう。
「学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習という言葉こそ
あるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。
自力では飛び上がることはできない。
~中略~
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、
自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者は人間の中に同居している。
グライダー能力を全く欠いていては、基本的知識すら習得できない。
何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるか分からない。
しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし
という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も
”翔べる”という評価を受けているものである。」
(上述、p11~13、”グライダー”)
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「学校がグライダー訓練所のようになってしまうのも、考えてみれば、
やむをえないことかもしれない。小学校へ入るこどもは、まだ、勉強が良くわかっていない。
ものを知りたい気持ちはあるけれども、どうしたら知識が得られるか、見当もつかない。
とにかく、先生に言われるように勉強しなさい、となる。
ひっぱるものがあるから、動きが出す。自分で動くのではない。受身だ。
~中略~
教育は学校で始まったのではない。いわゆる学校の無い時代でも教育は行われていた。
ただ、グライダー教育ではいけないのは早くから気がついていたらしい。
教育を受けようとする側も心構えも違った。
なんとしても学問をしたいという積極性がなくては話にならない。
意欲の無いものまでも教えるほど世の中が教育に関心を持っていなかったからである。
そういう熱心な学習者を迎えた教育機関、昔の塾や道場はどうしたか。
入門しても、すぐに教えるようなことはしない。
むしろ、教えるのを拒む。剣の修行をしようと思っている若ものに、
毎日、薪を割ったり、水をくませたり、ときには子守りまでさせる。
なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。
これが実は学習意欲を高める役割もする。
そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
~中略~
秘術は秘す。いくら愛弟子にでもかくそうとする。
弟子のほうでは教えてもらうことはあきらめて、何とか師匠のもてるものを
盗みとろうと考える。ここが昔の教育のねらいである。
学ぼうとしているものに、惜気なく教えるのが決して賢明でないことを知っていたのである。
免許皆伝は、ごく少数のかぎられた人にしかなされない。
師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心がけた門人は、いつのまにか、
自分で新しい知識、情報を習得する力を持つようになっている。
いつしかグライダーを卒業して、飛行機人間になって免許皆伝を受ける。」
(上述、p16~18、”不幸な逆説”)
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なるほど、と思う。
プロのジムと違い、ほとんどの高校や大学のボクシング部というものは
初心者に”基礎基本”ばかりを繰り返している。
それにも意味があるということであろう。
だが、思えばワタクシも”いまさらジャブなんて”とか
”いまさらガード練習なんて”と3回生くらいまではよく思っていた。
だから弱かったのだろう。
その練習を繰り返してものにし、かつそこからの創意工夫というレベルまで
達していなかったのである。
でも、光武や井上は基礎の練習をしていた。
あとは、自身がもっと技術を、もっとパワーをと思って工夫したことで、
最後には、いい結果を残せたのだと思う。
自分が勝つため、という下心とともに、この夏は基礎基本の強化に力を入れていこう。
by とはいっても下働きさせたらすぐに逃げそうな現代っ子を
逃さずに最高の結果を味わわせてやるためには、
どのように教えていくべきなのか、考えなければならんなあとおもうかんとく