『ストーリー』について byかんとく

本日、晩飯を食う為に外出。

いつもの小林付近のナウい店にて飯を食う。

そのときのニュース番組にて某党内の選挙を見ながらのママの言葉。

「最近の政治家はボンボンばかりで

何かに対する情熱から生じたストーリーがないんだろうねえ。

全然魅力感じないねえ。」

・・・・・

思い返せばこの言葉。

昨日の飲み会にて某経営者と一緒に電車に乗ってきたときの

会話でも出てきた。

ワタクシはアマチュアなので凡そ野放図に行動しているが、

「若い人と接するときにワタクシはストーリーを大事にしている。

技術とか人に接するノウハウは派生的なもんでしかない。

どうしようもない幼稚な学生でもストーリーを理解できる人間は

色々教えてやりたくなるし、逆に今駄目でも技術なんてすぐ吸収する。」

と語ると

プロとして行動している経営者曰く「確かにそうかもしれませんねえ。

すごく仕事が出来ても、目標とか共感的ないのであれば、

それ以上伸びませんし、教育のしがいとかないですもの。」

・・・・・

このストーリーというのは私の中の言葉だ。

言い換えれば目標だけれども、目標を超えたものでもある。

例えば本日某大学の指導者より着信あり。

「新型インフルエンザの影響でうちの大学が対外試合禁止を通達あり。

貴学は前にはしかの際にそういうことがあったと思うが

どう行動したらいいんでしょうか?」

ワタクシ答えて曰く「連盟は鬼ではない。まずは連盟の主要なる人に

誠実に状況と自分達がどうしたいかを誠実に話しておくことが重要だ。

こんなものは誰にでも訪れる可能性のある問題だ。」と。

・・・・・

実際そうであろう。

選手は「何でやねん!おれの今までの努力はどうなるんや!」

と投げ出してしまってもいい、と思うかもしれない。

インフルに限らず、主要選手がいつ交通事故にあうかも知れない。

でもそこで投げ出さず、何とかしようとして人間は成長する。

悪い状況に追い込まれても、ストーリーを追い求められれば、

たとえ仕方のない理由で負けたとしても、逆転優勝の可能性は0ではない。

その確率論は世の中がきめることではない。

自分たち自身が決める話だ。

うちだってインフルの震源地に近い。

最大限に頑張ったとしても、大事な試合でそうならないとはいえない。

でもまずやるべきことに力を尽くし、ストーリーを頑張って追い求めよう。

そのときに神の祝福があるかもしれないじゃないか。

byかんとく

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