『ボクシングの面白さ』について byかんとく

久々に最初にタイトルを書く。

基本的にワタクシは、文章を書いてからタイトルを決める。

「こういう作品を書いてくれ」とリクエストが来る、ライター業という仕事を

しているわけではない。

だからワタクシは自分が興に入れば、ニヤニヤしながらどんどん書く。

ある意味、自慰的文章ではあるが、一応KGボクシング部を対象として

書いている。あとは、おかしな文章が好きなネットサーファーには

読んでいただければありがたいくらいか(ニヤリ)。

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ところで表題の件。

「和を以って尊しと為す」このご時勢、殴ることに

何のメリットも見出せない人は多くて当然だ。

しかも基本的に、強くなったところで1円ももらえないのがアマチュアボクシング。

ボクシング人気が下火な上、初心者が最初の食いつきやすい金銭すらナイ。

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にもかかわらず、ボクシングの面白さを書く。

というか、ワタクシが監督という厄介なものをやっている理由とでもある。

人間というのは弱いものだと思う。

人間というか、動物は自らに降りかかる危機(肉体的、精神的、金銭的など)

に対して、どうしても逃げたくなってしまう。

畢竟、ボクシングでチャンピオンになったとしても、社会にでれば

それより自分を苦しめるもの、怖いものなんて身の回りに転がっている。

いうなれば、肉体的、技術的に優れてチャンピオンになったとしても、

知識がなければライバルに出し抜かれるし、我が物顔で歩いていれば、

いいと思わない人間により包囲網も敷かれるかもしれない。

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アンチテーゼではあるが、だからこそボクシングという競技は

優秀な社会人になれる契機を与えられるものだ、と思う。

誰だって危険なこと、しんどいこと、嫌なことからは逃げたい。

でもみんな知っていることである。

逃げてばかりいては勝てないことを。

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人生は勝ち負けじゃない、という考え方もある意味正しいと思う。

が、同時にどうしても勝たなくちゃならない場面も必ず存在する。

勝たなければ恩恵が与えられないということは、

まず出場しなければ契機すら与えられないということだ。

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どうしても勝たなければならない勝負のため、しかも怖いから

人間は必死に自己を鍛錬する。

勝つために、恐怖に立ち向かう為に、今の技術により大きな付加価値をつける。

勝ちたいから、話が苦手であったり、口下手な人間であっても、

優秀な指導者に話しかけ、技術を吸収しようとする。

そういうことを通して、その人間の魅力アップにつながっていく。

そういう選手を見ていると私はワクワクする。

この選手は、いずれ社会というフィールドで人のために働けるようになる

と自然と考えられる瞬間がある。

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ワタクシの話をすると、高校まではそれなりに学業優秀であったが、

斜に構えて陰で人を馬鹿にしたり、成功者を妬んだり、

精神的には大いに問題があった人間であったと思う。

今でもアイロニーたっぷりな文章を書いているので、

その片鱗を吐露しているようなものだが。

大学でボクシングをやったおかげで、真摯に打ち込まなければ

自分が肉体的にも精神的にも、大きなダメージを受けることもわかった。

中学や高校での授業のようにただそこにいるだけでは、

人は教えてくれることはなく、強くなれないことも学んだ。

また個人競技であるにもかかわらず、結局多くの人に支えられていることが

当たり前のこととして受け止められるようになった。

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今でも学ぶ機会をボクシングが与えてくれていると思う。

だからこそ恩返しをしていかなければならんなあと思いつつ、

いつまでも恩ばかり受けている気がするのが問題だ。

とりあえず、相手が誰であれ勝つために強くなろう。

その過程で人は成長できるものだと思う。

BY かんとく

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