『2011年最後の練習』について byかんとく

今思うと「天気晴朗なれども浪高し」という言葉。

あらゆる科学技術の結晶である近代戦の、

しかも決戦の報告事項にこの掛詞のような文学的表現を使ったことが

やっぱりその後の海軍誤らせたのやもしれぬ、

と思いつつ、先ほどまで大日本国営放送(仮名)の

『サッカーの上の愚問』(仮名)を見ていた。

きちんと金をかけられる大日本国営放送だから出来るドラマ。

同じく今年もあるのか『黒白歌合戦』(仮名)。

まあ見ないけど。

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さて、本年最後の練習は、西宮香風高校でのスパーリング会。

キャリアの短い選手も多かったし、まああんなものか。

かなりの強度の上級生の練習についてきていたので、

体力はあるはずなんだが急速にスタミナのロスが見られた。

相手が打ってくるのを、「なんとなく」後ろに下がるからよくない。

後ろに下がるのはその後に攻撃する為でなければならない。

ステップバック→すぐ奥のストレートとか。

その意識がないから重心が後ろ足に移り、打ち返そうと思っても

そのパンチは火力不足、結果相手はもう一回打てる。

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もう一つは打ち合いなれしていない。

相手は打ってくるもんである。

きちんとしたオンガードポジションからのブロッキングができれば

ほとんどのパンチを無効化できることは何べんも書いている。

今日ぐらいのほとんどのスパーリング相手なら、ブロックできていれば

特に優れた技術がなくても、間違いなく9割5部攻撃を遮断できる。

それが出来てない。

まだ技術のない選手が、技術のある選手とマスすることで、

「本来は予想外だったパンチを予想外にしない」という勘は養える。

しかしながら、それは今回のような同レベルの選手とのスパーリングでは

100ラウンドに1回という「いざ」という勘であることは間違いなかろう。

100ラウンドに100ラウンド、相手が間違いなく仕掛けてくる連打に対して

果たして準備できていたかというと、甚だ疑問である。

別に合同練習に限らず、型決めマスならば上回生にも、同級生にも、下級生にも

声をかけて行うことが出来るレベルのものであろう。

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そういう意味で、技術の足りない者がその弱点を放置していたわけである。

世の中の誰も自分を鍛えてはくれないと思いしるべきであろう。

当たり前である。例えば筋力トレーニングは誰かに鍛えてもらうものか。

否、鍛えるのは自分自身だけである。

他者はそれを補助したり、アドバイスしてくれたり、叱咤激励してくれる人である。

まずは自分自身のために日々の鍛錬をすべきである。

誰のために?自分自身のために。それが牽いては周りにもよき影響を与える。

by かんとく

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