『修行』について byかんとく

朝、「愛四号」(自動車)にて大学に向かう。

給料を湯水のように使った結果の、書籍を部室にお届け。

多分100冊はあろう。

本棚に入りきらんので、下駄箱の上にも並べておいた。

通学時間などに活用を。

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本日はスパーリング中心のジムワーク後、中央芝生練習。

オープンキャンパス開催中の為、高校らしき若者が多かったので、

ボクシング部アピールを目指し、「中芝の真ん中でミットを打つ」(ニヤリ)。

終わってから、中大・合同合宿の際のダッシュを本日も。

選手はヒイヒイ言うとったので、ワタシはニヤニヤしておいた。

で、新2年生2名に関関戦頑張ってくれ、ということで飯をおごる。

「領収書ください」とは言わない。太っ腹である。

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夕方、昨日に引き続き、鉄人伝説を見ていた訳だが、そのときに気づいたこと。

昨日放映分より鉄人が弱くなっていた。

臭い飯を食べたりしていたので、しっかりキャリアを積み上げられなかった

ということはあろうが、それにしてもである。

本人は多分、しっかりと練習はしていた気でいたはず。

だが、一目でわかるくらい昨日放映分とは身体の切れが違う。

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表題の件、上述の鉄人にも通じるものがある。

しっかりとした修行(練習)さえすれば、強くなれるのであろうか?

コレには、はなはだ疑問を感じざるを得ない。

うちの新人のように、全くの素人から始めた場合、

体力・技術は修行量に比例して高まっていくといえよう。

だが経験上、2年生くらいで頭打ちになる選手もいる。

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そういう選手はどこが違うのか。

修行はしている。みんなと同じ程度には。だが、結局その程度でしかないのだ。

みんなと同じ程度の修行は、みんなが同じレベルに達するには適する。

だが、それ以上のものはなかなか身につかない。

身につかないうちに、自分が一体何をしているのかが、わからなくなってくる。

そうなると修行になんて身が入らない。

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結局、今ある空間にいて今ある修行だけでは、今の能力を保つことすら難しい。

なぜならば、自分の成長を感じれない空間では、

昔は必死になってついていこうとしていた修行でさえ、

キャリアが付くことによって、逆に手を抜く方法を身につけてしまう。

そうならないためにはどういうことが大切なのだろうか。

結局のところ、「初心に帰る」一瞬というものを、いつもの空間、

いつもの修行の中に取り入れていくことだろう。

鉄人にも初めて世界チャンピオンに挑戦したときのように

向上心、緊張感、恐怖心、一つの動作へのこだわり、といったものがあれば、

自分がどういうことをしていくべきかが、見えていたはずである。

なかなか難しいことだが、道場に今より5分早く来て、

3分くらい真摯に自分に向き合う時間を、作ってみてはどうだろうか。

by かんとく

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