3月である。花粉が舞う。
鼻水も滴るいい男状態である。
そんな状態で本日は久しぶりに残業し業務を引き継ぐ。
「この作業はー、ジュルジュル、普通のやり方よりも、じゅるじゅる、
ハー、ここで右クリックしておいてからしたほうがいいっすよ、
すいませんちょっと鼻かんで来ます」という状態であった。
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国家でも企業でも何でもそうだが、敵がいないと仮想敵を作るものだ。
冷戦におけるアメリカの仮想敵国はソ連、東欧諸国、キューバであり、
現在はイスラム諸国を初めとする第三諸国、並びにテロリスト。
企業内の派閥争いなどなど。
ということで身体が花粉を仮想敵にしている状況なのであれば、
サナダムシあたりでも飼おうかしらん。
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さて本日、神田昌典著『お金と正義』の上下巻を読む。2006年10月初版発行。
宝塚西図書館で借りてきたものだ。小説だが、これはすごい作品だと思った。
まず表紙がすごい。
上巻、スーツを着た犬が並んでいる。その中に主人公と思われる
パンクロックファッションをした狼がギターを抱えている。
下巻、スーツを着た犬が並んでいるが、なぜか血のあとがある。
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内容について、現代社会の抱える悩みをより多く取り入れている。
ほんの一昔が10年前であるとすれば、一昔前まで社会にでるというのは
スーツを着た犬であればよかったのかもしれない。
だが、スーツを着た犬よりも、アイデア1つで学生で儲けられる世界にすでになっている。
昔の大人が会社で得ていた所得で子供を養っていたが、
これからはスーツを着た大人よりも、アイデアのある子供のほうが
儲けが多い=影響力を行使できるになりつつある。
まあそれはよいとしても、そういう社会の潮流が国家、地域、企業などの
本来組織の核たる立場の大人の、相対的な影響力低下につながるのかもしれない。
そういう社会の潮流とは、資本主義原理主義とも言い換えられるね。
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今の時代はIQが高ければ、人々がひれ伏してくれる世の中ではない。
資本主義原理主義という点でのIQが高ければ、時代の寵児となれるが、
それは3日天下となる危険性を大いにはらんでいる。
お金がなければ、誰も振り向いてくれないのと同義であるからだ。
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そういう意味では、ボクシング部で学ぶことは全く意味がなかろう。
ボクシングが強いことがボクシングIQだったとして、
ボクシングIQが高ければ、お金持ちにしてくれるものではない。
また、低いからとして貧乏になるものでもない。
この競技で鍛えられるのはEQであろうと思う。
必死に頑張ったという部員なのに、負けてしまうのを見てしまう。
全然練習に来ないのに勝つ奴もいる。
ボクシングは不条理なものだ。
だが、それを学び自分の中に取り入れていくことが、非常に重要なことだ。
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上述の作品にはこういう話が載っていた。
「情動に関わる共感力や判断力は大脳辺縁系(『感じる脳』)で
学ばなければなりません。そして大脳新皮質と大脳辺縁系は、
脳のレベルですでに違っていて、大脳辺縁系で学ぶ情報は、
時間をかけて反復学習することが必須になります。すなわち同じ話を
繰り返し語り続けることで、大脳辺縁系に情動や衝動にかかわる
神経回路が形作られていきます。
そして人間は緊急事態になったときには、大脳辺縁系の命じるままに、
動いてしまいますから、まさに今まで語り継がれてきた物語に基づいて、
無意識に行動してしまうことになります。」
(前述『お金と正義(下)』p293~294)
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ボクシングIQというものがボクシングセンスといえるならば、
ボクシングセンスだけの人間は、危機に面したときに対応しきる能力を
身につけていないのかもしれない。
すごくいいボクシングをしていた選手が、一発もらうとボロボロになることもある。
逆に下手で何度も何度も繰り返し、技を身につけてきた人間は
危機に際しても、その技術を持って危機に対応できることは
各OBの試合を見てきてワタシは真実であると断言できる。
そういう意味では、才能がなくても練習の繰り返しを厭わない選手は
ボクシングEQのある選手といえよう。
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もちろん、その技術は社会にでても何の役にも立たないが、
その技術をこうやって身につけたというものは、大脳辺縁系に残っているはずだ。
忘れない原始の脳であるのだから。
そういう意味では我が家にある無用の長である小説たちも
ワタクシに危機に際する人間の対応力を授けてくれているのかもしれない。
そう切に願いながら寝るとしよう。
現在1:30
byかんとく