久々に本のことでも書くか。
ここ2週間ほど、昨今熱いブームを巻き起こしているネタである、
小向女史の”自分探し”海外逃亡劇場、”待ったなし”大相撲八百長劇場を、
オッサン雑誌にてむさぼり読んでいる。
自分でHP上に散々好き勝手書いておいてなんなんだが、
あまりに世の中的に過熱しすぎの感はある。
ふと、日本社会全体の不安=対象喪失からの反射的対応?と思ったり。
対象消失の5段階、つまりはキューブラー・ロスの「死の五段階」説を
はたと思い出した。
以下に引用。
「キューブラー・ロスは、死に瀕している患者二〇〇人以上に
インタビューした臨床経験に基づき、末期患者は、
第一段階 否認
第二段階 怒り
第三段階 取り引き
第四段階 抑うつ
第五段階 受容
の五つの段階を経て、ようやく死という最大の対象喪失を
受容する段階に達するのだと、
その著書『死ぬ瞬間-史とその家庭について』(鈴木晶訳、中公文庫)
で述べている。」
(『一億総ガキ社会-「成熟拒否」という病』p.159、片田珠美著、光文社)
日本社会も「成長」という長年の目標を失い(中国に抜かれ)、
同じような状況にあるのかもしれない。
そういう意味で、今は第二段階というところか。
・・・・・
さて、この本を再読して思いだすのが、『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平著、小学館)。
深夜ドラマにもなったが、実は昨日も読んでいた。
たとえば昨今話題の貧困ビジネスだとか、或いはイベサーの成功を夢見る、
自身で曰く「オレには何もねえ、だからイベント成功させないと」という若者だとか、
闇金を経営するウシジマくんの目、つまりは金を貸す立場から
現代を描いた斬新な漫画である。
(『なにわ金融道』は現代を切り取るというより、いかに法律の抜け道を
”活用”するかを主眼においていると、勝手に思う)
ここに登場する人物はそのほとんどが成熟拒否的人物ばかりである。
依存症であったり、引きこもりであったりと。
自分自身を冷静に見ることができれば、そんな罠には陥らないはずが
対象喪失を恐れて混乱し、その罠に自らはまりに行く。
ひとつボタンを掛け違っていることを、すぐに気づけばリカバリーできるのに、
焦って急いで、ボタンをとめて、すべてのボタンを掛け違うような話多々あり。
・・・・・
自分が思い描く妄想において、都合のいい情報、それを裏づけする情報は
ネットなどを通して、手軽に手に入る世の中になっている。
だが、それは間違いだよとか、冷静になれと注意してくれる人間や、
或いは、そこまで行かなくてもただ話を聞いてくれる人間、
そういう人がいなければ、今の世の中、
誰もが”成熟拒否”に陥りやすいのかもしれない。
それ以前に、失敗の許されない雰囲気や、世の中の流れるスピードが早すぎるため、
本来ならば若者の特権であるはずの”思い悩む”ことや、
”失敗して恥ずかしい”経験が不足しがちなのやもしれん。
生きている限り、”悩み無用”なんて状況はほぼない。
”悩みは生きていくうえにおいて有用である”とおもう。
読者の皆様、よければ両書籍、併読されてはいかがでせうか。
by ”失敗して恥ずかしかった経験”多数にもかかわらず、
いまだに”成熟拒否”的かんとく