『街場と王国』について byかんとく

洗濯がたまっていたので、本日はとっとと帰宅し、

洗濯機をまわしながら、前から気になっていたが忘却のかなたに

置き忘れすぎていた、DVDを観る。

というのも先般書いたの『街場のメディア論』(内田樹著)の中に

ひとつの記述があったからだ。

「なぜ貨幣が誕生したか。

それは例えば偏狭の地に見知らぬものを見つけた人間が

”これはもしかして、自分へのプレゼントではないか?”と思い、

”じゃあ自分も返礼しなければならない”と思い、別のものをおくことが起源」

(以上、要約。出展の書籍は、いつもワタクシにお勧め書籍を貸して頂いている

丁稚先のT先輩に返却したため、手元にないので)

・・・・・

上記の記述を読んで、そういえば、この発想というのは、

昔観ようと思った映画にあったなあとおもい、

『ペイフォアード~可能の王国』(ミミ・レダー監督、ワーナーブラザーズ)をレンタル。

感想、非常によくできた映画であると思う。

ハリウッドらしく、要所要所にユーモアがあるし、もともとのアイデア自体と

アメリカの現状(2000年の作品)の対比が面白い。

現在のワールド・スタンダード(アメリカン・スタンダード!)の世界では

効率と自己利益の最大化こそが、すべての人間に目指すべきものとされている。

そしてそのために、有益な情報を集めて、活かし、過ちを犯さないことが

人生のすべてであるという幻想が、現在の日本人の処世術となりつつある。

・・・・・

でも本当にそうなんだろうか、と思う。

『ペイ・フォワード』の作中、社会の先生であるシモネットは

「世界を変えるとすれば何を利用する?それは頭を使うことだ。

そのためには考えて、それを実践してみよう」という。

一年を通してのこの課題に、主人公のトレバーは

「受け取った親切は3人の第三者に渡す」というアイデアをつくり、実行に移す。

いろいろな人々がそれをきっかけに幸福を実感するときが訪れて、、。

後は見てください(にやり)。

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思えば、他人に親切にするとは、やろうと思ってやることではない。

例えば、目の前で不意に倒れた人がいたとする。

その人に手を差し伸べてしまえるかどうか、が親切といえるのだとおもう。

はっきり言ってこの状態では、だれも”自己利益の最大化”など考えていない。

でも、つい助けてしまう。

自然とそうせざるを得ないことが、まさしくの『ペイフォワード』なんだろう。

人間社会は”自己利益の最大化”をもって、成熟してきたわけではない。

いうなればそういう意識であろう。

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『街場のメディア論』では、誰もが自己利益の最大化とイコールで考えてしまう

”仕事でのキャリア形成”というものを、同じような概念で説明していた。

ボクシングで強くなるためには、自己の努力はもちろん必要だが、

やはり強いボクシング部というものが存在するのは、

そのせざるを得ない、例えば後輩に教えざるを得ない状況というものが

めぐりめぐって(過去の先達たちが教えざるを得なかったという状況が)

自身を強くしてきた、といえるだろう。

そんなことを思いながら、ひとつを観賞し、もうひとつを読んでみてはどうか。

by 昨日判決のあった事件で迷惑をこうむった、

某大学ボクシング部の善良にして、真摯にボクシングに取り組んできた

他の部員の国体本戦での活躍を祈念している、かんとく

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