『走る小説家』について byかんとく

禁煙をのデメリットとして、体重が増えたことは前に書いた。

デメリットをもうひとつ追加。

体重が増えたためか、腰痛が悪化。

体重を減らすため走ろうとも思うが、悪化するのではと怖くもなる。

よって、まずはキャベツダイエットによる体重減と、腹背筋の強化から(にやり)。

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さて、ネギの話ばかり毎日書かせて読ませたとて

KGボクシング部のファンは増えるわけもなく、

大学ボクシングを見ようと思う人間も間違いなく増えまい。

ということで、たまにはまじめに書こう。

最近読んでいる本、村上春樹著、

『走ることについて語るとき僕の語ること』(文芸春秋)。

そう、『1Q84』の著者ですな。

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ワタクシはまだ『1Q84』は読んでいない。

ワタクシはどうも、時代の寵児、正統派、純文学という類の小説が苦手であり、

春樹氏の著書で読んだのは『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』ぐらいである。

でもま、そろそろ『1Q84』くらいは読まねばならぬが、

3冊も買うと高いので誰か貸してください(にやり)。

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それはさておき、上述の購読の書『走ることについて~』。

まあ、著書にも興味を持っていない人間であるので、春樹氏自身にも

当然のごとく、興味を持ったことはないのである。

(そういえば、先般の紹介の”兵士”シリーズを読んだのち、

初めて三島由紀夫というボンボンに興味を持ったくらいである)

が、この著書を読んでいると面白いと思うものである。

サラリーマンでなく、小説家をやっている以上は通勤の代わりに

1日1時間のランニングという意味もあり、マラソンを始めたとのこと。

走る小説家、というものは世界的にもかなりレアであるが、

始めた年が33歳というから驚きである。

著書の中には、一ヶ月に走った距離の記述もある。

2005年の月別走距離は、6月260km、7月310km、8月350km。

(上述、『走ることについて~』p.76)

一日10kmで週6回といったところであろう。

市民ランナーにしては、”真面目なランナー”に分類される走距離である。

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その著者が、年に一度はフルマラソンを走っているとのこと。

11月に行われるレースに向けての書かれた著者の言葉は

すべてのスポーツの体力強化に当てはまるものであるとおもう。

以下引用。

「これまでの三ヶ月は『とにかく距離を積み上げていこう』ということで、

難しいことは考えず、徐々にペースを上げながら日々ひたすらに走ってきた。

総合的な体力の土台作りをしてきたわけだ。

スタミナをつけ、各部の筋力をアップし、肉体的にも心理的にもはずみをつけ、

志気を高めていく。そこでの重要なタスクは、

『これくらい走るのは当たり前のことなんだよ』と身体に申し渡すことだ。

『申し渡す』というのはもちろん比喩的表現であって、いくら言葉で

言いつけたところで、身体は簡単に言うことを聞いてくれない。

身体というのはきわめて実務的なシステムなのだ。

時間をかけて断続的に、具体的に苦痛を与えることによって、

身体は初めてそのメッセージを認識し理解する。

その結果、与えられた運動量を進んで(とは言えないかもしれないが)

受容するようになる。その後で我々は、運動量の上限を少しずつ上げていく。

少しずつ、少しずつ。身体がパンクしない程度に。」

(上述、『走ることについて~』p.79)

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まあそういうことでありんす。

著書を記した時点で著者は50代であったことから、

それこそ「パンクしない程度に運動の上限を高めていくこと」に

神経を使っていたのであろう。

そしてそのための手段が「少しずつ少しずつ、身体と対話しながら」である。

すべての運動の基本、体力、スタミナ、パワーを身につけること。

でもその基礎となるものは、日々の運動を通して、身体と対話し続けることだろう。

by 昼間丁稚先にて巧みにマウスを操作しつつ、

空いた左手で、お腹の辺りのそこはかとなく柔らかいものと

対話し続けている、かんとく

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