『手紙』について byかんとく

先般、大学に赴いた際、生協にて書籍を購入した。

その際、店員さんに「いつもありがとうございます」と言われてしまった。

とは言え、覚えられるほど購入した記憶は無いにも関わらず、

そう言われるということは、若者の活字離れたるやこれ如何。

『東京島』 (桐野夏生著、新潮社)にも書かれていたが、

よきにつけ悪きにつけ、その人の持つ物体についての認識は

言葉こそが、イメージを決めることがままある。

同著内では、離島に流れ着いた遭難者が、その島に「東京島」という

名前をつけたのである。

或いは望郷の念からかそれぞれの集落ごとに、

キタセンジュ、とかイケブクロとかシモキタザワと。

となると、集落ごとに「キタセンジュのダレソレが」とか「イケブクロの云々」と

語りだすと、そこで自分の集落と他の集落との違いを意識せざるを得なくなる。

ということで、言葉というものの力を知る意味でも、”絶対ダメ!活字離れ”

・・・・・

そんなことはさておき、購入の書籍について。

自衛隊に関連する本ばかり読んでいたころ、一切購入を控えていた

森見登美彦大先生の『恋文の技術』を購入した。

大学院生が、教授から「研究してきなさいよ」と島流しの憂き目にあい、

見知らぬ土地で、眼下に海、後ろは山、ポツネンと一つ存在する研究所にて

クラゲの研究と、精力絶倫になるという自作の飲料を鯨飲しつつ、

マンドリンを弾く先輩との関係に唾棄すべきものを感じた主人公・守田一郎が

かつての研究室仲間、家庭教師先の生徒、そして森見登美彦先輩との

文通を描くというものである。

だが、返信された文章はない。

つまり守田一郎が、それぞれに送りつけた文章だけが書かれている。

著者の意図たるや傍若無人よ。

後は想像しなさいよという、ある意味冒険をした小説である。

・・・・・

ま、読んでいて、ふと昔を思い足す。

今のようにメールがあるわけでもない時代。

当時大学生であった夏休みで帰省していたワタクシ、

当時密かに仲良くしていた女性と、文通したことがある。

電話しようにも当時持っていたのはPHS、つまり遠距離になると

電話料金がバカ高い。

メールを打てばいいのだが、PCも家にはない。

iモードが出たてという時代で、PHSにメール機能なぞない。

女性が持っていたのもポケベルであった。

なんともアンソロジー、ほのかにセピア色(ニヤリ)。

・・・・・

当時堪忍袋の緒というものが、人に比べて著しく短かったワタクシは

当然人に使われるバイトなどというものが長く続くわけもなく、

万年金欠病という、下手すると死に至る病を抱えていた状況であった。

そういう状況なら手紙しかないだろ。

無用に重いものでなければ、封書で全国一律70円で届くのである。

これを利用しない手はない。

ということで、前もって聞いておいた女性の住所宛に

ドキドキしながら手紙を投函した記憶がある。

・・・・・

今思えば、相手がどう思うかを想像し書く徒労たるや、メールの非ではない。

例えば、相手を思う気持ちを綴ったつもりが、気分を害したとする。

とすると、相手がその気持ちを書いて投函、ワタクシの元に届いて

あわてて反省の弁、訂正の語、おもねりの文章を書くこととなるとお思いだろう。

が、こちらの思い以上に”心外である”と相手が憤怒の面となった場合、

最終手段として「No more 返信」という選択肢もあるのである。

ああ無情。

・・・・・

そう思うと何を書いて良いのか、わからなくなるのである。

と言いながらも書かないわけにはいかない。

約束した限りは書かなければならん、とおもいつつ書いてはみても、

適当な終わり方もわからんが故に、最後付け足す要らぬ言葉の為、

便箋を破いて書き直すことのまこと多きこと、

手書きの文章という面妖な性質に気づいたもんである。

すばらしき日よ、学生時代。

そこでこんなHPを楽しみに熟読している皆様にご提案、

誰かに手紙を送ってみてはどうだろう。

手渡しは邪道である。

相手の反応が予想できない、投函と言う方法を取るほうがよろしかろう。

そして、文章の迷宮の深みに嵌まり、かつ予想できない相手の反応に

身悶えてしまうがいいさ(ニヤリ)。

                                   かんとく拝

KGボクシング部HPの愛読者さま

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