『修行』について byかんとく

今日は出勤。

早朝に会社にはついたが、仕事モードにならない。

うちなー(沖縄)タイムが3日間で身につく。

最近は引きこもりがおおいらしいが、

”外こもり”というものが存在する。

その場所とは、うちなータイムの沖縄であるが、

今回行ったときには、明らかに沖縄に”沈没”した人を見かけなかった。

これも不景気の影響?

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まあ、沖縄らしくない本も読みましたよ、『親鸞(下)』とか。

スピリチュアルな沖縄で、親鸞もないわなあと思いながらも、

先般購入していたので仕方がない。

読まない本ほど無駄なものもあるまい。

ということで読んだ本。

稲田和浩・守田梢路共著『5人の落語家が語る~ザ・前座修行~』(NHK出版)

柳屋小三治、三遊亭円丈、林家正蔵、春風亭昇太、立川志らく、という大物たちの

前座時代の話を集録したもの。

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一門も異なり、時代も違う人々が、今の効率主義の世の中では

想像しづらい”徒弟制”の社会に入門した時の話である。

今ほどではないとはいえ、軍国主義ではない時代によく分らないことで怒られる。

例えば「帰っていいぞ」と師匠に言われたとする。

で、5人のうちの1人は帰りました。

翌日、「昨日は何で帰ったんだバカヤロウ!」と怒られる。

「帰っていいということは、帰らなくても言いということだ。

お前は俺の芸を盗もうとしているんじゃないのか、何で帰るんだ?」

はじめは意味が分らない。

その考え方に疑問を持ちながらも、その意味を理解しようとする。

それが何かに対して真摯に打ち込む人には響く。

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もっとも、この5人、入っている一門が違うから、其々の師匠によって

教え方も異なる。

例えばある者は住み込みで修行をし、「床の拭き方がなってない」と怒鳴られる。

「心をこめて行動することが大事なんだ」と教わる。

またある者は、アパートを借りて住み、師匠宅へ通う。

今みたいに携帯はないから公衆電話から「師匠、今日はどうしましょう」と朝かける。

「今から来い」といわれたときに備えて、徒歩二分のところの公衆電話から。

ある者は「別にお手伝いの為に弟子を取ったんじゃないから

うちに来なくていいよ、色んなもの見て勉強しろ」という師匠もいる。

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色んな考え方があり、そうしなければならないというものではない。

ただ、自分がやりたいことのためにはその師匠に認められなければならない。

高座に上がれない。

上記で一番楽そうなのが、三番目に上げたものに見えるかもしれない。

だが、三番目こそが一番大変なことではないだろうか。

「自由にしていいよ、でも、俺が高座に上げねえってきめたら

それはお前の勉強不足だからってわかるよな?」ということである。

・・・・・

この本に登場する人物が行った修行は、

監督業に迷えるワタクシが全部考えたことのある物ばかりだ。

だが、修行を課す師匠たちは、全部が違うものの為にやっているのではない。

「目の前の弟子を、1人の落語家として成功させるため」という

一つを教える為に課しているのである。

選手のダレソレが言いました「結論は?」

そんなもの、自分で考えろよ(ニヤリ)

by 選手には意味はわからなくても、心にとどめておいてほしいと思っている、かんとく

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