『プロ』について by かんとく

本日、TV番組の”晴れトーク”(仮名)にて特集されていた

プロレス芸人特集を見、大いに笑った。

何度もいうがワタクシもプロレス大好き人間であったし、今でもつい見てしまう。

単純なルールである総合格闘技や立ち技格闘技のプロ団体が

資金力と華やかな演出で今の隆盛を誇る前、

プロレスには個々の選手の持つ華と同時に、

団体抗争などの人間臭い部分がエンターテインメントとして

人々に指示されていたのであろう。

ただ勝つか負けるかのゼロサム論理では、決して計ることが出来ない

即興芸術格闘技だからこそ、今でもプロレスファンは

当時を思い出したとき、口角泡を飛ばし語ってしまうものなんだと思う。

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そういう意味ではドラマのない、ただ強さや数値(タイムや評定点)の競技が

この日本という国において、プロとして存在するのは難しいものかもしれない。

例えばマラソンやバスケット或いは最近流行の総合格闘技など、

プロの選手が必要なものは(興行が成り立つ、その収入だけで食っていけるなど)

実際の競技能力以前にTV番組枠をもっていたり、

新聞や雑誌の記者と仲が良かったりといった、

メディアなどでの喧伝できる部分があるか否かが、大きな位置を占める。

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そしてそのメディアの上に、自分達の話を乗せようとするならば、

特に格闘技の場合に必要になってくるのは、

過去の自分がどうであったかという物語性であったりする。

例えば昔はいじめられっこであったとか、

親父=トレーナーが厳しくても、それは家族間の愛情からのものであるとか、

昨今増殖中のニート代表であったりとか。

それはコンプレックスがある主人公の物語だから、

切磋琢磨し、その結果勝った時に、人々に刺激を与えられるのである。

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かつて、アベベというマラソンランナーがいた。

貧しい地域で育ち靴も買ってもらえなかったから、裸足で走って学校に行っていた。

だから本番のレースでも当時は裸足で走って、しかも優勝していた。

そのときのインタビューで「今からもう1回走っても、私は優勝する自信がある。」

本当に走れるかどうかは別にして、そう言える者であるからこそ

彼は日本人の記憶に今でも残るランナー、つまりプロなのである。

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そういう意味では、アマチュアであるほうが難しいのかもしれない。

アマチュア競技の先には、金銭面の有利が確約されているわけでもなく、

(過去の、或いは現在でも一部の社会主義国家であれば保障されるかもしれないが)

自分自身のプライドの為に競技に向かい合う。

だがその姿勢こそが、今の日本、或いはこれからの世界で生きていくために、

一番大事なことではないだろうかと思う。

学生である選手諸君には、その経験をボクシング部で学んでほしいと思う。

だが別にプロがダメとか言うのではない。

プロは厳しい世界だから、結果を出せなければ全く評価されない。

結果を出しても、場合によっては”華がない”で、片付けられてしまうこともある。

それでもプロの世界に憧れ、挑戦することは若者の特権ともいえよう。

ワタクシとしては、ボクシングをするならばしっかりアマチュア経験をしてから

プロに行くほうがいいと思う。

自分の適性も計った上で、基礎を学んだ後に挑戦するのが常道だろう。

第一、知っている選手が大きなダメージを受けるのを見るのは、好きではない。

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だが、そういいながらも「プロに行きます」といって、

4年間の競技を続ける前に辞めた選手がいる。

その選手は「自分なりに」考えた上での行動であろうし、

ワタクシ自身「こいつは止めても、止めてる意味が理解できないか、

理解できてもそっちの情動の方が強いのだろう」と判断し、彼は退部した。

辞めた後の日時を計算すると、そろそろ彼もプロテストを受ける頃合かと思う。

その彼がこれを見ていたとしたら、「プロ」というものがどんなものか

いい方法を見つけ、成功してほしいと思う。

by かんとく

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