『ミッション』について byかんとく

本日勤務後、平成のOB会に参加する。

来期以降の現役生を支援しようというもので

各代の主将、主務クラスで関西在住者を招集。

20名くらい集まった。ありがたい。

参加の皆様には、今後ともご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします。

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開催場所が北新地であった為、平成13年以降(ワタクシより下の代のOB)にて

二次会に繰り出す。

案内役は日本最大手広告代理店Dにお勤めのIさま。

しかしI様、酔っ払って寝てしまったので、タクシーに押し込み、ワタクシが会計。

他のOBで割り勘。

実に腹立たしい。

最大手広告代理店DのIさま、このホームページを見たら

必ず何らかの形で現役支援をしなさい。

返済無用。(実はみんな返済してほしいかも知らんが、それは知らん!)

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そんなことはどうでもよく。

其の二次会にて、政治家Mさんとの会話で、ワタクシが彼に見せた文章。

「実はそういう考えを持つ人が、政治家になる世の中にせなあかんと思うんです。」

と賛同してくれた。

その文章を昨日、東京より帰宅中に読んでいた本の記述から引用する。

「私がマザー・テレサに憧れるのは、彼女は彼女自身が望んでやったことが、

すべて『人のため』に重なったということです。

貧しい人のために無料のホスピスをつくり、

宗派を問わず、どんな状態の人でも受け入れてケアしたこと。

HIVやハンセン病の患者のための受け入れ施設をつくったこと。

イスラエルとパレスチナの武力衝突を一時休止させて、

戦火の中にあったベイルートの病院から患者達を救出したこと。

すべて、彼女自身がやりたくて、やったことです。

普通の感覚からすれば『なんの得にもならないだろうに』ということをわざわざしたのは、

彼女にその人たちを『助けたい』という欲があったからです。

あえて『欲』という言葉を使いましたが、それは純粋な思いです。

感謝されたくてやったわけでも、義務感にかられてやったわけでもない。

もちろん、地位や名声を求めてのことでもない。

ただ、『自分がそうしたい』という純粋な思いでやったことが、

すべての人のためになっている。

『私』と『無私』とがみごとに重なり合っている。」

(『勝つまで戦う~渡邉美樹の超常思考~』渡邉美樹著、講談社p.189~190)

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本当にそうなれればすごいと思う。

ワタクシもボクシング部の活動を通して、よりよい大人に学生が育つように

工夫を重ねているつもりである。

が、マザーテレサのようにはいかず、「クソ忙しいのに」と義務感にかられながら、

あるいは「全く学生どもはなんの感謝もしやがらんのに」と思い、

「俺の私生活の充実が無いのが腹立たしい」と嘆き苦しむ輩である。

誠に小さい。

しかしながら、ワタクシは自分がおもろいと思えるものをすでに与えられている。

ある後輩が工夫を重ねて強くなる。おもろい。

別の後輩が社会人となり、丁寧な礼状であり、年賀状を送ってくれる。おもろい。

ワタクシが他の地に赴いた際、また別の後輩が今の状況を語ってくれる。おもろい。

そういった繋がりを持ち、楽しみをもらってきたのだから、

ワタクシは恩返ししていかなければならないのであろう。

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そう思うと、これからワタクシはさらに思い悩む必要がある。

来期は1部だ。

嫌がおうにも、選手は頑張ろうとするだろう。

ならば、その彼らの危険回避率を限りなくゼロの近づけるのはもちろん、

当たり前以上に成長させる必要がある。

ワタクシは上記のM氏とは別のアプローチを行おうと思う。

今いる部員を、よりよき大人に育てる。

その結果が社会に還元されればそれでOK。

by 帰りの電車の中で、現役生に説教しながら自分の考えをまとめていた、かんとく

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