『スパルタンX』について byかんとく

テレビで散々報道されているので、

皆様方ご存知だと思うが、プロレスラー三沢光晴氏が逝去。

残念だ。

前から散々書いているので想像に難くないと思うが、

かつてワタクシはプロレス狂であった。

ワタクシは幼少期身体が弱かったので、

人より余計に強さというものに憧憬の念を抱いていたのだと思う。

長じてそれが、ボクシングをし、今でも関わっているのだから、

ワタクシの人格形成にプロレスが大きな影響を与えたといえよう。

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そんなことはさておき、三沢社長について。

二代目タイガーマスクの時代、

あの時代は良かったのかもしれない。

1980年代か。

プロレスには夢があった。

それはプロレスラーの生活が、今のようにネットなどを通して

赤裸々に報道される時代ではなく、

強さが相手を滅茶苦茶に打たせ続ける試合や

壊すまで関節を極める試合をしなくても良かったのである。

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それが変わったのが1992年ごろからか。

プロレスの中にも格闘技色が濃くなり、

観客の求める真の強さが耐える強さではなく、

一瞬の隙を見逃さないことばかりに心を奪われた時代。

バーリトゥードでグレイシー一族が活躍。

オクタゴンの登場。

思うのがあわせてネットの繁栄で急速に

プロレスの物語性が失われ、リアルばかりが求められる

時代となったように思う。

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あわせて三沢氏の属していた全日本プロレスも、過激になっていった。

ただし流血があったり、ノックアウトする為だけの攻撃ではなく、

強烈な技を、耐え続けるプロレスだ。

当時のチャンピオンシップでは、60分時間切れ引き分けがザラにあった。

そのころからのダメージの蓄積と、現在のプロレス不振が重なり、

社長をしていた三沢氏には精神的にもダメージがたまっていたのかもしれない。

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プロレスに関わらず、プロの世界とは非常なものだ。

だからこそ、プロレスラーは引くに引かれず、

現役を続けていかなければならなかったのかもしれない。

あまり言うことではないかもしれないが、時代のせいという部分も

重なっていたのかもしれない。

三沢氏に合掌。

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ともあれダメージというのは危険なものだ。

受け続ければ体のどこかにたまり続ける。

休むのも大切なことだ。

目先の利益を求めバイトばかりしていたら、

体の疲れに気がつかないこともありえる。

自分が元気だと思っている学生でも、十分に気をつけてホシイ。

by かんとく

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