『またまた茂木健一郎かよ』について byかんとく

夜勤が終わって帰ってきた。

本来なら会社の仮眠室で寝てやろうかと思ったが、

練習に行こうと思ったら会社からは遠い。

よって自宅に戻る。

自宅に戻る途中、疲れたので会社の車の中でホケーっとしていると、

高速道路でいきなりの減速に遭う。

なんだろうと思っていると、高速道路上に歪んだバンパーが転がっていた。

タクシーとトラックが激突した結果であったようで、

トラックの運ちゃんらしき人が携帯で話していた。

・・・・・

「こわいっすねえ」と乗っていた車の運転手さんに話しかけると、

「最近は事故が多いですよ。みんな苛立っているんでしょうね。

不景気だからノルマのために、トラックのドライバーは高速でも

バンバン飛ばしてるし、(時速120以上出しているらしい)

そらあ事故も起こるはずですよ。」とのこと。

車やバイクに乗る人にも注意は必要だが、

うちの選手は原付を使っている奴が多いから、事故したら死ぬ。

突発的に、知っている奴がいなくなることほど悲しいことはない。

注意しろ、といってわかる人間ならば言わなくても事故はしないので、

はっきり言って意味はないと思うが、自身が注意力が散漫だと思う人は

自身の身の回りにたくさんいることを、今一度思い起こしてホシイ。

・・・・・

さて、夜勤の際の夕食時に茂木氏の著書の、残りの部分を読む。

やはりためになる。

ワタクシの大した量でない読書量の中では、

ここまでためになることを書いている本に出会うことは稀だ。

特に印象に残ったのは、武道における礼節だ。

会社の新人に貸そうと思い、そのまま置いてきたけれども。

(ワタクシくらいの年次(9年生)になると会社内でも教育係を拝命。

ボクシング部以外でもやるこたあ、やっているのである)

・・・・・

ボクシング部にはいる前、違うスポーツをしていた人間がほとんどであろう。

武道。

意味のわからない上下関係&意味のわからない礼節。

ワタクシも疑問に思ったことがある。

でもこれには意味がある、と茂木氏は書いていた。

手元に著書がないので、いつものように引用できないので要約。

例えば柔道や剣道においての最初の挨拶。或いは形式。

あれは毎回”全く同じこと”をすることによって、

自身では感じ取れない”何かに望むスイッチを入れる作業”ということ。

一般的な人間であれば、突発的に殴りかかられれば何もできない。

でも例えボクシングをしていたとしても、急に殴りかかられたならば

それには対処しきれない。

一例を挙げるならば、ワタクシの知り合いのボクサーで

コンビニバイト中に強盗にボコボコにされた人間がいた。

その知り合いはかなり強い。ワタクシは抜かったなあと思っていたが、

そうではなかったのではないか、とふと思った。

コンビニでバイトという空間は、普段のボクシングとは別空間である。

そう考えるならばかの男が対応し切れなかったのも、納得できる。

人間とはそういうものだ。

・・・・・

しかし、ある一定の場にたったとしたら、如何に下手なボクサーであろうと

対応することが出来る。

それは何か。ボクシングという舞台であればだ。

そういう雰囲気を武道系の部活動では礼節であり、挨拶の中に

そのスイッチを用意しているとのことであった。

思わずうなってしまった。

同じことが大学時代によく読んでいた、中谷彰宏氏の著書の中でもあった。

(大学生がよく知っている著書なら『面接の達人』だね。

ただしメンタツにはそんな記述はない。悪しからず。)

会社の近くに住むのはデメリットがあると。

なぜか。

社会人にとっての、社会人たるスイッチは”通勤電車の中”にあると。

イメージするあの重苦しく、会社に向かうのが嫌だが、

亡羊と吊り革広告を見ている電車内(関東は特にそうだろう)で

スイッチが入っているのである。

だからミスに対して鋭敏になれるし、営業相手に対して

素のままの自身ではなく、営業マンたる自身で対応できるのである。

・・・・・

そう考えれば、練習前の「関学ファイト」という何となく行っている

日常の風景に別の要素を感じ取れるようになろう。

試合前に「関学ファイト」という言葉も違う意味合いで

言えるのではなかろうか。

と思いながら、ワタクシは寝る。ただいま4時。

by かんとく

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