『試合に臨む準備』について byかんとく

本日、健康診断あり。

ということで、本日晩は飲んでも問題なし(ニヤリ)。

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飲んだ後、夜道にて一人で歩く際、自身に語りかける。

昔、こんな選手がいた。

某大学との対抗戦の際に、その相手はセレクション入学の

かなり強い相手であった。

彼は必死に力を尽くして、自身の最高のボクシングをしたが負けた。

結果として、その対抗戦はぎりぎり勝ったが、本人は納得いかない模様。

「試合後の懇親の際に、審判と話してて『僕は相手に勝ちをつけたが

やっぱり今考えると君の方が勝っていたと思う』と言ったのが、悔しい。

なんで審判はそういう判定にしたのか。」と。

ワタクシはその選手に対して言ったのが、

「負けは負けやん。攻めるときにもっと攻めとけばよかったんちゃうんか?

審判だって人間やから、1R微妙ならキャリアのあるほうにつけておかしくない。

君はチャンピオンじゃないでしょ?

自分がチャレンジャーなのに、いいボクシングしてたら自分につけると思うのは、

傲慢じゃないのか?

アマチュアの場合は、20対20なんてラウンドは反則がなければ無い。

審判は何年も選手を見て、いい選手ならそのイメージがあって当然。

結局、体力がなかったのか、前に出る根性がなかったのかは

君しかわからないけど、結局攻めれなかったんだから仕方ない。

それを言い出したら泣き言でしょ?」

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この言葉は、言われた本人には非常にむかつく言葉だと思う。

味方だと思っている監督が審判の味方をすると捕らえれば。

はっきり言って審判は味方でも敵でもない。

味方にするか敵にするかは、自身の心の持ちようでしかない。

審判が味方するのは、『両選手』でしかない。

審判は裁判官と一緒だ。

どんな審判も自身の技量と良心に対して、裏切らないジャッジを

心がけている(のが当然だと思う)。

なぜならば何年も選手に接してきているから、いろんな選手を見ている。

今は技術がなくても将来を期待できる選手もいれば、

今技術があってもコイツは伸びないだろうなあと思う選手も見ている。

いろんな選手がいて、いろんな思いがある中でより適正な判定をしようと

思っている(はずである)。

・・・・・

そう考えるのならば、審判に対して文句は言えないはずであろう。

そういいながら、彼の気持ちがわからんでもない。

ワタクシも試合後に判定に対して「あの判定はおかしいんチャうんか」と

言ったこともある。

(そんな泣き言を聞いて当時の監督は

ワタクシをホンマにやめさせようと思った、とのこと)

・・・・・

アレは勝ちだったか、負けだったか、そんなんどうでもいいのである。

判定が不服なのは、ただの勝ちというラインを勝手に定めているからだ。

勝っていると見えるラインで負けになるのが嫌なら、

誰が見ても明らかな勝ちにこだわればいい。

その方法なんて色々あるはずだ。

KOだってあるだろうし、相手に一回も触らせないポイントアウトもある。

あるはずなのに、そこに誘導できないならば結局のところ

自身の能力がないだけである。

そう思って日々の練習を頑張ってホシイ。

by かんとく

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