小松選手の死を悼む byかんとく

先般書いたとおり、昨日ワタクシは夜勤であった。

仕事の都合上、その日に起きたいろいろな情報が入ってくる。

その際に、亀田大毅選手の次回対戦相手であった

小松則幸選手の訃報が届いた。

ワタクシは会社ではかなり大人しい系のキャラではあるがつい、

仕事の関係者のいる前で、「え!?」っとかなり大きな声を上げてしまった。

詳細を知らないボクシング関係者はいないと思うが、要旨を書いておく。

亀田戦に向けて、小松選手は大津市にある修験道者も訪れる

滝壺でのトレーニングを行う予定であったが、

関係者がすぐそばにいる中、そのまま行方が知れずとなった。

そして発見されたときにはすでに息途絶えていたとのこと。

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非常に悲しいニュースだ。

「何で滝壺に?」と思われる方のために、私の勝手な推論を立てる。

プロの世界というのは特殊な世界だ。

強さがなければ、身内以外には、誰にも何の評価もされない世界だ。

つまり自分の持つアイデンティティーの為に、必要なことの第一義は

やはり強いことである。

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ワタクシも某ボクシング雑誌で仕入れた情報でしかないが、

小松選手は昨今調子がよくなかった。

おそらく今回の亀田戦は、その調子がよくないときだからこそ、

なんとしても結果を出す為に必死であったと思う。

川に向かった小松選手のなかには、自分自身でも蓋をしていたであろう

「今回負けたら」という恐怖と、「今回勝ってもう一度世界戦へ」との狭間に

いたのだと思う。

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新聞各紙の報道内容は現時点では割れている。

自ら川に飛び込んでいったというものと、いつの間にかいなかったというものと。

いつの間にか足を踏み外していなくなったとすれば、

自分の世界に入り込んでしまった結果、足を踏み外したのであろう。

もう一方の飛び込んだのだとしたら、自身の恐怖を超える為だったかもしれない。

いずれにせよ、一般の人間の目からすれば、「普通ではない」状態だったと思う。

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プロの世界は、その試合へのこだわりから

すべてを研ぎ澄まさなければならないときがある。

研ぎ澄ます為に、現代スポーツ論では有害とされるものですら

越えていこうとうする選手は多々いる。

それが市井の人には狂気の沙汰に見えることもあろう。

しかし追い込むことによって、自身の力を100%出したいと思ったのであろう。

ここに書いたのは、現役選手に真似をしろ、ということではない。

ただ、そこまで追い込む選手もいるのだということを知って欲しい。

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急にここに小松選手のことを書くのは、私は小松選手と面識があるからだ。

某OBの付き合いのある社長が小松選手の応援団長で、

試合後に小松選手とも尼崎の飲み屋でお話をさせていただいた。

物腰は柔らかで、猛々しいボクサーとは思えない好青年であった。

「関学の選手もよければジムに来てください。

折角ボクシングを通して知り合ったのだから、

技術とか僕らから盗めるものがあれば

どんどん盗んでもらったらいいんですよ。」

という言葉をいただいた。

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小松選手は、あくまで自分の目標に向かっていたと思う。

その道がこういう形で潰えたことは残念でならない。

ご冥福をお祈りいたします。

また関係者の方々はご心労多々おありと思いますが、

故人の勇姿とボクシングへの情熱は、ワタクシの心に残っております。

by かんとく

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