『単語』について byかんとく

金曜の晩より実家の広島に帰る。

土曜日に地元のツレの結婚式があったため。

式場に向かうと、旧市民球場前にユニフォームを来た群衆あり。

どうやらオープン戦があった模様。

帰りに市民球場前を通ると試合終了後であり、楽天選手のバスを発見。

ボヤキの多い監督の後姿を見る。

ああいう監督になりたいものだ(ニヤリ)

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さてさて表題の件。

久々に地元のツレと懇親を深めたわけだが、その際に気づいたこと。

ナウい我が地元は都市の成り立ちからして、肉体労働都市でる。

戦前戦中は、軍艦の街だったので、農家の次男坊以下が多数集まった。

軍政下ではもちろん労働基準法なぞあろうわけが無く、しかも肉体労働、

当然のごとくコミュニケーションの手段は言葉よりも力の比重が高かったと思う。

なもので、気が荒くてもいい文化というのが、醸成されてきた。

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なもので、我が地元のツレ(私も含めてだが)は

気に食わないことがあるとすぐに感情的になる。

平気で「ぶちまわす」(関西弁でいうとしばくか、漢字当てると打ち回すか)

とか言う。

これは身の危険の多い肉体労働職場で気が荒く、

身体一つで生活資金を得ていたためだろうと思う。

コミュニケーションしたところで、金にはならず、

周りの人間も学が無い人間(当時の農家の次男坊以下には

学校教育は小学校終了が当たり前だったため)が多いため、

小難しいコミュニケーションノウハウが必要なかったためだろう。

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「ぶちまわす」とか便利な単語である。

ほんまに怒っているときも使えるし、冗談への突っ込みという意味でも使える。

他にも「かばち」(関西弁ならアホ、それ以外の地域では馬鹿に相当)

とか、口汚い単語が山ほどあって、それだけで会話が成り立っていた

と思われる。というのも、我が祖父は非常に口が汚いからの推論。

人間というものは一つ便利なものを使い出すと、その生活からの脱却は

よほどの環境変化が無ければ難しいものだ。

携帯電話を紛失すれば、無かった時代と同じように振舞うのは

結構骨が折れるはずだ。

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単語というものも同じことだろう。

英語自体は中学英語の単語レベルで、英語圏の人間とも

そこそこの会話ができるはずだ。

しかしながら、それはやはり初歩の初歩。

だからこそ、TOEFLとか英検とかでも英単語を覚えていくのだろう。

そうすることで、自分の気持ちに近い単語を発せられるようになる。

GOODとBADの間にはいろんな感情もあるし、

比喩の仕方も様々あるわけだから。

だが、日本語の単語を新しく覚えていくというのは、意識していない。

大人になるということは、大人しく聞いておけばいいということではない。

必要であれば、自分の主張をきちんと相手に伝えられる人間のことだ。

そういう意味で、感情も相手に伝えるための言葉を覚えるべきだ。

ただの感情的な奴、変な奴と思われないためにも、

自分の気持ち、改善する点などがあるならば、それをどう伝えるか

まずは単語を覚え、状況に合わせた言葉を使っていくべきだ。

by かんとく

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