『perspective』について byかんとく

春は別れと出会いの季節。

と言うことでこのところ、丁稚先の送別会が多発。

ならびにワタクシの夜勤の日もあり、嫁が実家に帰らせていただいているので、

ついでにワタクシも嫁の実家に帰らせていただいている。

嫁は旦那が相手をしてくれないので、かつての友達と連絡を取っていた模様。

本日、かつての嫁の丁稚先の友達と、その企業に行きたいという新3回生(先般嫁が

クビになった洋菓子屋にて、自発的にただ働きを実施していた奇特女子)を会わせたという。

・・・・・

三者の会合は和やかに終了した模様。

その後友達と飯食って帰ってきた嫁に、旦那(嫁がいない嫁の実家で飯を食った人)は聞く。

ワタクシ「それはよかった。ところで奇特女子は、お礼のメールはしてきた?」

嫁「まだだね。」

ワタクシ「そんなもん、終わったらすぐメールでしょ?」

嫁「まあ最近のナウなヤングは送るだろうね、本来は」

ワタクシ「ワタクシだったらそれかなりうるさく言うけどね」

嫁「だから某4回生からの『監督、4年間ありがとうございました』ってメール、

追コンとか卒業式の日ならまだしも、『お前暇やったんやろ?』って時間に来たのは

ヤイヤイ言ってるから理解できてないからじゃないん?」

ワタクシ「うむ、そうかもしれん」

・・・・・

ということで説明しておこう。

なぜ、お礼のメールをしなさいというのか、ということである。

例えば大学生になればこういう場合。先輩が飯をおごってくれたり、

酒のとき、或いは時間を取って話をしてくれたとき(就職活動ならOB訪問とか)。

それの全部が全部に対して、お礼を言わねばと言う杓子定規なことではなく。

本来その人がしてくれたことに対し、「お礼」を示すのは人間として大事なことである。

子どもの頃ならよく飴をくれるオバちゃんには、もらうたびに「おばちゃん、ありがとう」で済む。

それはそのオバちゃんが「子どもはそんなもの」という認識を持っているし、

そう思わなくても「そんなことに対して目くじら立てたら世間体が悪い」と言うこともある。

また自分の親が「いつもすいませんねえ」と、代わりにお礼をいってくれることもある。

・・・・・

しかしこれから世の中に出て行き、自分自身で人間関係を構築していく年齢ならば

そのままでいることは、良いことではないだろう。

何故良くないことかと言えば、相手の好意に対してしっかりとした返礼をしなければ

相手に悪印象を与えることがあるし、そして自分の中にもモヤモヤしたものを残す。

それをわざわざ感じ取って後に実行に移すよりは、まずは形を身につけてほしい。

儀礼的過ぎても相手は不快に思うものでもある。

しかしそれはその気持ちを相手に伝える気がないことが態度に表れるからである。

・・・・・

ワタクシとしては本来、就職活動中であるような場合や部の対外的な関係での

お礼に関しては、ぜひとも「お礼状」を勧める。

相手が社会人の場合、特に相手の時間の都合を考えなければならないから

電話よりもお礼状が良いと、かつては言われ続けてきたのである。

今のご時勢メールがあるじゃないか、という意見に対してはこう応える。

その方、家のPCのメールアドレス、落点(仮名)の勧誘メールばかりになってないか?

そんな中にお礼のメール書いても、埋もれたら意味無いやんけ。

上述の奇特女子の場合ならば、まずはメールを打った後、お礼状を書いてほしいと思う。

こう書くと、こんな質問がきそうである「どんなお礼状書いたらいいんすか?」

そのperspectiveがその人の行動様式と範囲を制限していることに気づきましょう(にやり)。

by かんとく

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