『決断力』について byかんとく

ワタクシ昔豊中市というところに住んでいたのであるが、本日久々に訪れてみる。

住んでいた当時、毎日のように通っていた、『自然体』(仮名)という店に赴く。

今の家に越してきて、付近のオッサン御用達の小料理店ばかりに通っていたので、

ナウでヤング、且つ落ち着く店に行くと刺激に満ちた、楽しいものであった。

その当時に、現在のワタクシと同じくアラサーであったマスター、

いまや可愛い奥さんと子持ちである。

マンションも買ったらしい。このご時勢で大変だとは思う。

だが、帰りに乗ったタクシーの運転手さん曰く、

「あの店はあんな辺鄙なところにあるのにいつも流行っている」との事。

ワタクシの愛した場所が、今でも近隣の人民に愛されていることがうれしいと思う本日。

・・・・・

おもろいことがあれば書いてみたい!というバカモノ、いやいや若者がいないため、

このホームページ、いつの間にかワタクシの私物化している。

3月に合同合宿をする大学の指導者との携帯での会話中に

「読みましたYO(ニヤリ)」とお言葉をいただいた際は、汗顔の至り。

さすがにまともなことを書かねばならぬ、と不肖かんとく、久々に読書について。

・・・・・

表題の件、羽生善治の著作である。

先般記述の『上達力』の著者が、分野の違う人でもハイレベルな人の

話を聞いたりすることは重要だという一文から選択。

非常に勉強になった。

いいなあと思う一文を引用してみよう。

・・・・・

『現状に満足してしまうと、進歩はない。

物事を進めようとするときに、「まだその時期じゃない」「環境が整っていない」と

リスクばかりを強調する人がいるが、環境が整っていないことは、

逆説的にいえば、非常にいい環境だといえる。リスクを強調すると、

新しいことに挑戦することに尻込みしてしまう。リスクの大きさはその価値を

表しているのだと思えば、それだけやりがいが大きい。そちらに目を向ければ、

挑戦してみようという気持ちも起きてくるのではないだろうか。』

(羽生善治著『決断力』p69)

・・・・・

『二人の剣豪が決闘を始めたとする。立ち合ったときは距離が離れているが、

間合いをつめていって勝負が決まる。お互いに離れていては勝負がつかないから、

前に進まなくてはいけない。前に進むとそれだけ危機が迫る。

怖いから下がりたい気持ちになるだろうが、一歩下がっても、

相手に一歩間合いを詰められるだけだ。状況は変わらない。

逆に言うと、下がれば下がるほど状況が悪くなるのだ。

怖くても前に進んでいく、そういう気持ち、姿勢が非常に大事だと思っている。』

(同p71)

・・・・・

ボクシングと一緒では無いだろうか?

よくOBから下がるなと言われる。でも弱い選手は「かまわず」下がっている。

でもボクシングと関係の無い将棋界の英雄が同じ事を言っている。

どう思うかはそれぞれであるが、とりあえずハイレベルの人の話を

感動を持って聞けないとしたら、ボクシング以前に人間としての成長が必要かも。

・・・・・

さて、大学王座の日程が決まったようだ。3月15日に水戸。

(このHPアップ当日に見た人に、ごめんねごめんね。栃木と表記してしまった)

ソースはR大学OBである、毎日新聞運動部記者の方が書いていた。

(ヤホーで大学王座、ボクシングで検索したら多分出るとおもうが)

関西大学の選手諸君!私は部外者なので好きなことを言うが、

自分と、そしてその自分を育ててくれた人の勝利へのこだわりを

相手と日本連盟の関係者に見せつけてやってほしいと思う。

・・・・・

大切なのは、いろんな意味で自分が昨日の自分を超えていくことだと思う。

体力ばかりでゴリゴリしてた人間が、いろんな選手を見るうちに

こういうスタイルを勉強しようと思い、そして身につけたとしたらそれはすごい。

また大学から始めたのであれば、同等の技術を身につけ、

さらに中高の部活動で身につけたパワーを発揮したのならば

それはすごいことである。

悪そうな奴は大体友達であった奴が、関係者に大人として対応できたら勝ちだ。

それができることが一番大事なことだと思うが、いかがだろうか?

byかんとく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください