『頭の体操』について byかんとく

4年前は月末締め業務が23時位までは当たり前にかかっていたが、

本日は19時にて終了した。

自身の行った業務の効率化のおかげで健康な毎日。

だが、財務は非常にタイトになった。残業代がつかねえ。。。

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よく考えたら、ここ数十年で人間の生活スタイルが大きく変わっている。

サザエぼん(仮名)では、スーツで働く並平さんや、益尾さんが帰路に着くのは

夕日がちらついている風景である。

これがおそらく昭和30~40年ころのサラリーマンの姿であろう。

本日帰りに、気の国屋(仮名)で購入した池井戸潤著『俺たちバブル入行組』では

(学生諸君に説明すると1990年くらいだねえ)

このころの就職活動での次の面接への勧誘は、自宅や下宿への電話であり、

リクルーターとの待ち合わせは、「ざくろ銀行の前で週刊慎重を

持って立ってるひとに声かけて」というものであったようだ。

そらそうだ、当然のように携帯電話を使えるという時代ではなかった。

あったのは、多分自動車電話ってやつだろう、知らないけど。。。

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Eメールの話は前したかしら。

Eメールは今でこそ、携帯電話ですらできるものであるが、

歴史に登場したのは1991年、湾岸戦争時である。

その当時は「絶対傍受不可能の伝達手段」ということで

ホワイトハウスと、CIAをはじめとする国家機関レベルでの通信手段だった。

それが今では詳しい人なら中学生でも人のネット空間を覗けるようになっている。

猥褻動画ばかり見ている人には怖いものでしょう。

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たまに知っている知識を並べるてニヤニヤするのは

非常に楽しいものである。

というのは、人が物事を考えるには、知識が必要だ。

一般的に、頭がいいと評価される人は、ある知識と別の知識を適切にスピーディーに

結びつける能力のある人ではなかろうか。

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携帯電話は、それこそ浦沢直樹著『二十世紀少年』の時代(1960頃)には

21世紀にはできている物と紹介されていた。

万博は、未来への憧れや思いが無ければ、あれほどの熱気に包まれなかったはず。

携帯電話は、人間関係が濃厚すぎる家族の中で過ごした世代にすれば、

手軽に自分の好きなとき、好きな場所で遠くの人とコミュニケーションを

とりたいという部分からいえば当然のことだったと思う。

ただ、その後に登場した愛モード(仮名)はその上をいったわけだ。

その時代にあったPCでのEメールと、携帯電話を結びつけるという発想は

今にしては当たり前だが、当時は誰も想像していなかったはずだ。

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そういう意味で、何かと何かを結びつけて考えていくクセを身につけたほうが

将来の社会人生活のためにもなると思うし、何より楽しい。

ボクシングでも、言われたからいわれたと通りの練習をするのではなく、

指導者が言っている意味と、例えば蝶々と相撲取りと野球のスナップなどの

動きをくっつけてみると結構面白いかもね。

そして当たり前だが、その知識が増えれば増えるほど、その掛け算は増大していく。

つまり、新たなるものが生まれる可能性も増大していくということだ。

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そういえば、うちのOBの市議会議員先生がブログを開設していた。

もしかしたらワタクシのツマラナイ文章と、彼の主義をくっつけた結果かも。

もしかしてワタクシ、次代のフィクサーか?聞いてないから知らんけど。

by かんとく

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