『日本の教育システム』について byかんとく

本日、会社の土曜当番のため出勤。

土曜日なので、『チャベス号』(チャリ)にて出勤。

往復40kmであった。

会社でネットで検索すると1000kcalを消費していると判明。

帰宅時、家の近くのオッサン飲み屋にて晩飯を食った。

それだけカロリー消費したんだからいいだろう、とバカバカ食った。

今日一日の行動が、全くの「から騒ぎ」の監督一名。

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さて、その飲み屋にての会話。

相手は女将60代、客50代、60代、70代の雄という様相。

ワタクシ、顔は老けて見えますけれども、まだ20代である。

にもかかわらず、会話が成り立ってしまう。

こういう能力の向上に関し、OB会に感謝しなければならぬのではなかろうか。

しかしながら、麗しき黒髪の乙女との会話もままならぬのに、社会人としての

的確なる技術が身につきすぎている、と思う今日この頃。

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そんなことはさておき、表題の件に関して。

本日、前々より購入していた内田樹著『街場の教育論』を読む。

物を知らない現役学生は当然のごとく、知らぬであろうが、この人は有名教授であり、

来年度、KGと合併予定の大学の、さらに隣にある大学の教授である。

その中でもかなりの有力者である。

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このオッサン、かなりの曲者である。

著作の最後尾によれば、専門が「フランス現代思想」「映画論」「武道論」である。

どう考えてもおかしな選択3種類である。

こんな選択は、居酒屋の「おつくり盛り合わせ3種」では、絶対にありえない。

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そんなおかしな印象はさておき、この教授、なかなかいい指摘をしていると思う。

大体、昨今話題の教育改革の目標とは何ぞや。

果たして、文部科学省長官であれ、学校に30年勤めたベテラン先生であれ

なかなか要約して説明することは難しい主題にしたいして

なるほどの納得のできる回答、およびこれからの提案をしていると思う。

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要約すると、教育なんて型にはまったものではない。

型にはまってるのは、言葉遊びをする政治家の立場の言葉であって

結局のところ、今まで存在していた教育システムを現場の先生方が

よりよい形にしようというモチベーションを高めるしかないのではないか、

というものであった。現状、第三項(つまり60ページ)までしか読んでいないが。

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我々が生活していくうえで、必要なものを教えるのが教育であるならば、

それは無数に存在するのに、実際の大学であり、その前の過程の

高校でも部活動であり、あるいは文化祭、体育祭など

今後にダイレクトに影響するとは到底思えない行事が学内には存在する。

まさしく、今ビジネスの世界で言われていること、つまり学生を「即戦力」に

育てるためであれば、そのすべては無用であるはずだ。

しかしながらも、学生自身で気づいていることもあるが、

そういったことを通して、自分自身だけでなく、周りの人も

「この子は成長した」と思える事が多数存在している。

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人間の成長というのは結局のところ、その人間の持っているセンサーに

影響を与えられるものでなければ、時代にあわせようとかどうとかのレベルまで

高めきれないのではないか、と私は考えている。

ということは、そのセンサーのレベルに合わせて始め、目標まで何かしらの言葉か、

或いは、誰かしらの存在が必要と思う。

そこまで物理的に最後まで引っ張っていくまではいかなくても、

「いい言葉」であり、「いい経験」を知るきっかけをオトナたちが

与え続けていこうという姿勢を忘れてはならないと思う。

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同時に、選手から指導者に、これをやって一体どういう効果があるんですか、

問いかけてもムダである。

教えていることは、必ずしもすぐに役立つもので無い可能性もある。

しかしながら、教えられたことは何年か後に、その重要性に気づいたりもする。

書いていて、抽象的だなと思う。

もうちょっと勉強して、今後書いていこうかなと、思います。

BY かんとく

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