『共感と再生』について byかんとく

阪神淡路大震災から18年が経った。

ワタクシは当時、紅顔の15歳高校1年生であった。

貧しい港町の大通り沿いにある、トラックが行き交う度に

家が揺れるようであったので、普段から震度1か2くらいには慣れていた。

しかしその日の朝、慣れているにもかかわらず、体感するほどの揺れがあり

目が覚めたのである。そして再度寝た(呉は震度3だった、つまりただの地震と思った)。

が、震災発生が1年後のことならば、ワタクシは新聞を配り終えていた時間だった。

そして震災発生が3年後であったならば、ワタクシは上ヶ原の寮にいたのである。

・・・・・

大学1回生の時、ワタクシは寮の先輩と酒宴(日本では未成年は酒飲んじゃダメ)にて

そのときの4回生のフルヤさん(仮名)は震災の経験をこう語っていた。

「俺が1回生の時だったけど、その時から同期と日本酒飲んでて、

普通にベッドの上の棚(寮生ならわかるが寝てる一からしたら1.5m上)に

一升瓶を置いていた。だけどその夜だけは、なぜか一升瓶を棚の上に戻さなかった。

あの時、自分が何かをしている意識なんてなかったけど、

そうしてなければ上から一升瓶が降ってきたわけだから、

運よく死んではいなくても、間違いなく大怪我をしていたはず」

同席していた4回生のフルショウさん(仮名)はこう語っていた。

「上ヶ原は結構家が潰れていた。俺らは状況が状況なので出来る限り

避難するように言われた。だから上ヶ原から西宮北口まで下りて行ったけど

やっぱり潰れた家がそこかしこに点在していた。

西宮北口までたどり着いても電車は通っていなかったから、

とりあえず大阪方面に歩いて行った。梅田駅に着いたときにホッとしたんだけど、

同時に近くに歩いていた女子高生が普通に笑い話をしていたのを聞いて

本当に殴ってやろうかと思うくらい腹が立った。」

・・・・・

最近の話。KGAAの渡辺会長はこんな話をしてくれた。

「2011年の関関戦の事前イベント。関学が主催の試合になるので前々から

盛り上げようと体育会本部の学生たちは準備していた。しかし3.11があった。

6月のイベントに向けて彼らは準備していたことをやりたいと言っていたが、

私らOBはそれをやめるように、説得しなけらばならなかった。

何故なら東北で震災に遭った人たちがいる。

阪神大震災を経験した人間、亡くなった人間さえいる関西学院の学生が

その人たちの状況に思いを寄せることができないなんて、あってはならない。

そういう思いで彼らに話をしたんだ。」

この話を聞いたときに、うちのOBは偉いもんだと思った。

彼ら若い世代が知らないし、考えたこともない事に対して、

上の人間ならば間違いなく不快に感じ、人間としてやってはいけないと、

必死になって止めてくれる先輩がいたということは素晴らしいことだと思う。

・・・・・

ワタクシはその時の学生が、なぜOBがそこまで必死に説得していたか

最初はたぶん分からなかったのではないかと思う。残念ながら。

考えてみれば当たり前のことなのだが、2011年に22才の人間であれば

生まれたのは1989年である。

1995年の阪神淡路大震災の時、彼らは6歳であるので

「実際に被災していれば」覚えているだろう。

しかしその彼らが大阪府内の東部や北部に住んでいた場合、

悲惨な状況にある近所の状況など、記憶はないだろう。

人間は自分が悲惨な状況になった場合でなければ、その話を真剣には語れない。

語らないのではなく、語れないのである。

経験もしたことがなく、真剣に語られたこともないことに若い彼らが

どれだけ真摯に向き合えるかと言えばかなり難しかろう。

自意識過剰だったワタクシなら、鼻で笑っている可能性さえある。

もし語られたとて、口先ばかりの人民から聞いた話には説得力がない。

反対に本当に悲惨な目に遭った人の話は、その人がつたない口調であっても

何かしらの心を揺さぶられるものがある。

・・・・・

本日、大日本国営放送(仮名)の震災特集を番組にて気づいたことがある。

被災された彼らの苦しみは、被災しない限りワタクシには一生分からないだろう。

でも以前から、我々はその彼らに寄り添うことの大切さを知っている。

例えば物資を送ることや、寄付をすることの大切さである。

しかしもっと良い寄り添い方を我々は考えることができる。

例えば衣類を送る際に、そのダンボールにその服のサイズを書くこと

(つまり、自分の服のサイズ、163㎝63㎏←サバ読んでます)を

書くことは誰でも簡単にできる。

その苦しみはわからないまでも、気分転換になってくれることとを期待しつつ

そこに手紙を入れることはできる。

まあ、こんな拙い文章を読んで、何かしら感じることがあった人民は

先輩方に話を聞いてみるのもいいかもしれません。

できることからしか、物事は進まない。

ということは、できることをやれば、物事は進むのである。

by かんとく

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