引き続き読んだ本。
部室に行っていないのでボクシングネタ、書くことなし。
あ、一つあった。やっとカズアキが痩せる気になった模様(にやり)。
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『もう「東大話法」にはだまされない~「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く』
(安冨歩著、講談社)というものを読んでみた。
帯には“わざとややこしく話して問題をうやむやにし、
ケムにまいて責任逃れをする、徹底的な不誠実にごまかされないために”
という注釈あり。
著者曰く、よくテレビに出てくる研究者は「御用学者」である可能性が高いようで
そこを見破るための方法の数々が書かれているので興味のある方はどうぞ。
まあ、組織の論理を自分の論理として口から出してしまうというのは
日本の「ムラ」社会からしてみれば仕方なしの部分があるにせよ、
何となくわかるもんである。
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その中でも注目すべきは、「御用学者」においては
論文などの自分の研究にもかかわらず主語を「我が国」とする点。
見習いたくないものである。
「自分がやる」「自分はこう思う」という表現を使わないのはいいとしよう、
日本という国において自己表現が過ぎると何事も進みにくなる部分はある。
ただそういう環境に身を浸しつづけているうちに、「自分がやる」「自分はこう思う」
という意識も失うとすればワタクシは嫌だがね。
だってそういう主体的なイメージこそが、何かをなし得るための
モチベーションになると思うがいかがか?
客観的に見て、それこそが関学ボクシング部のあるべき姿であろう(にやり)
by 「良い“立場”を求める相手と結婚すると“立場”が無くなったとたんに離婚される」
という記述を見て、「ボクシング部の監督やめる時離婚されるかもしれん」と言ったら、
非常に冷たい目で見られたために、嫁に「あと××回ボクシング部に行ったら離婚する」と
言うのではないかと恐れおののき、本日ケーキを買って帰り、
「俺の立場も考えてよ」と嫁に哀願した、かんとく