『ロック・アウト』について byかんとく

本日も暇なので部室に行った。

練習が終わってみると部員が大きめの紙を見ながら、ああだこうだと言っていた。

秋学期の履修のようである。

1回生に第三外国語を取るべきだといったら、

語学なんて苦労するからとらないという。

いや、苦労するからとっといたほうがいいんじゃないかと、オジサン思うのである。

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だって、イタリア語やアラビア語、ロシア語を社会人になってから

何の意味もなく勉強しようと思うことがあると考えられるか?

ということは今やっておかないと、一生そこの人民との出会いはないわけである。

とは言え、やったからといっても、そのこと自体がいい結果を招くとは限らないが

自分の人生を開く一つの滋養となりえるとは思う。

因みに4回生で第3外国語のロシア語を取ったワタクシは、

卒業旅行でロシアに行き、初日に強盗にあった。

ロシア語さえとってなければ、一生強盗にはあわなかっただろうに(にやり)。

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さて、そんなことは横に置き。

そんな会話をしていて目にした推薦入試の某選手。

単位を聞いて愕然とした。その学年でそんな単位数なんてあり得るのか。

というか卒業できるのか。

ワタクシは別に大学を4年で卒業せなあかんとは思わないが、

大学を卒業することと、勉強についていけず中退することは

1と0の差、或いは天と地ほどの差があると思っている。

(たとえば時代の寵児だった堀衛門〈仮名〉は大学中退だけれども

元々頭がよく、且つ価値観が世間一般と大きく違い、

“だらだら”大学に行くことに意味を感じないような人民なので、

一般人とは比較にならないと説明しておく)

・・・・・

ということでボクシング部OBでスポーツ入試組に、別件がてら連絡した際に

聞いてみたらこういう答えであった。

「1回生の時は必死でした。ゼミとかでとにかく仲良くなった奴がいるうちに

最低でも語学だけでも取っておこうと思いました。

というのは授業の要点とかを教えてもらうことができるけども、

もし自分が落としてみんなが受かっていれば(一般入試組にとってみれば楽な授業だから)

自分はひとり1回生用の語学に取り残されることになるんですから。」

なるほど、一理ある。

しかしこいつらの時はまだ、1学年に2、3人のスポーツ入学が

当たり前という時期ではなかったから、やっぱり自分で何とかしなければという

意識が高かったんだと思うのも、また事実であろう。

例えば宮本(兄)の方も卒業単位は何とかなるらしい(計算ミスがないことを祈る)。

今は良い意味でも悪い意味でもスポーツ入学が一般的になったから

「誰々先輩もヤバかったらしいけど、何とかなったらしい」というような話も

まことしやかに語られるのかもしれない。

以前に比べて、対抗戦のオーダーは組みやすくなったけども、

環境が変われば、思ってもみなかった問題が出てくるのか。

by 『コーチ・カーター』という映画を思い出したので、

何ならその方法応用し、「○○単位取れていない者は練習させない」

というような部内規則を作るのもいいかなとも思う、かんとく

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