『年賀状』について byかんとく

本日、来年度入学予定のある若人より年賀状が届く。

ありがたいものだ。

儀礼的なものでも、うれしくないことは無い。

やっぱり、高校の先生の教育が行き届いているのだと思う。

さすが!

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それに比べて、我が部の学生は年賀状を送る以前に、

「送りたいんで住所教えてください」の一言もなく、且つ年賀状もメールもなかった。

私に無いんだから、おそらく他のお世話になっている人

(ゼミの先生や高校のときの恩師)にも送ってないのだろう。

全く指導が行き届いていない部である。責任者出て来いである。責任者=私だが。。。

別に年賀状がほしいわけではない。

とある民営化した団体をを儲けさせろ、という指示をするつもりはないから。

だが、とある上回生たちは私にメールで新年の挨拶を送ってきた。

その姿勢を評価したいと思う。

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一言の礼状であり、まず相手に何かを伝えようとする姿勢は、

他の者たちに対して大きな違い(差)になる。

例えば社会人になったとき、取引先に対して、しのぎを削るライバルがいたとする。

その相手に勝つために、年賀状を出すことを惜しまない姿勢は大事だ。

その姿勢は結局のところ、年賀状だけの話ではない。

例えば取引先に、ちょっとした仕事を頼もうと思われた時点で価値がある。

その機会(チャンス)をつくることは、実は結構難しいものである。

そのチャンスを逃すべきではないのではないか、勝つためには。

何かに挑戦して、結果を得ようという人間には、わずかな差も、

その後に有用に活用するものだ。

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現に、私の所属する会社では私はペーペーだが、某大手代理店のリーダーは

わざわざ私に年賀状を送って来ている。

ライバル会社は送って来ない。それ以前にチェックする名簿に私の名前は無い。

やっぱり大きな差である。だから業界のガリバーたれるのではないか。

会社の立場において私は、覚えよければ、助けてくれるパワーのある相手ではない。

そういう意味では無駄なことだと思う。だが嫌な気はしない。嬉しいもんである。

私が仮に将来、出世したとして、その相手にはちょっと気を使おうという気にはなるわな。

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はっきり言って名簿を調べれば、コピーペーストの年賀状を送ることも出来る。

ただ、そうしなければならないものではない。

でも、そういう姿勢は勉強したらいいのではないだろうか。

ちょっとしたこと。ボクシングで勝つのもちょっとしたことの差である。

攻撃された後、1秒後に殴るか、3秒後に殴るかで結果は全く逆にもなりうる。

それをなめていてはいけない。

by かんとく

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