『不測の事態』について byかんとく

久々に内田樹先生の著書『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川書店)を読む。

このところ読書ができていなかった。

週末ごとにリーグ戦、それがために無理を言って調整してもらったため

やや大変な勤務形態の週中、帰れば週末のために嫁に接待を実施。

ということで疲れたリーグ戦でした。

しかし忙しすぎてはいかんなあ、物事に対して余裕を持って対応しきれない。

何事も中庸が肝心である。

ということでバランスを取るために読書、読書。

・・・・・

さて表題の件。

氏が書く観点として「いかに無用な攻撃をされない位置にいるか」というものがある。

村上春樹が書く邪悪な存在を一つのたとえとして、いかに対応するかを書くことがよくある。

そういえば村上春樹が世界的に売れるのも、村上春樹が提起する、

主人公と邪悪なものとの接点が、世界の読者に受け入れられている結果かもしれない。

キリスト教徒たちにおける邪悪な存在は、そこに元々存在していた邪悪な者の土地に

自分たちが足を踏み入れるところから始まるものが多いようである。

(ホラー映画の古典をはじめ、「ジョーズ」では海、「エイリアン」では宇宙など

相手のテリトリーに踏み込むことで悲劇が起こる。それに比べて日本のホラーは

過去の主人公の行動が原因となって呪われるとか、憑りつかれたり、

恨まれたりした結果という、原因と結果があってのホラーが多い。)

不測の事態に対していかに自分をコントロールするかという意味では、

下記に引用する文章でも同じことが言える。

・・・・・

「子どもがまず『礼儀正しく』ということを教え込まれるのは、

子どもからすると、世の中のほとんどの人間が『権力を持っている人間』だからです。

『子どもである』というのは、周りのほとんどすべての人間によって

傷つけられる可能性があるということです。

それくらいに『子どもである』というのはリスキーな状況なのです。

だからこそ、子どもに向かって『礼儀正しくしなさい』と教えるのです。

『君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ』と。

経験的にご存じと思いますが、人から『礼儀正しい応対をされる』となんとなく

『かわされる』という感じがします。『かわされる』あるいは『はずされる』とか

『ずらされる』という感じです。そういう対応をされると、それ以上『突っ込めない』のです。

こちらが攻撃的になろうとしても、なりきれない。」

(上述『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p.200-201)

・・・・・

人間というのはもう長い年月を生きているものである。

とりあえず西暦だけでも2012年ほどはあるわけである。

あなたという人間がどれほど長く生きてきたかは知らないが、

兎にも角にもそういう人間が生きて来て必要だと思われることは

多くの場合、色んな所に記されているものである。

東北大震災では、津波の過去からの伝承こそが人が生き延びるための道標となった。

それは生き残った人間が「これは一大事だから後世に伝えていくべきだ」と

思ったということもそうだが、伝えられた方も「よくよく意味はかわからなくとも、

これは伝えておかないとまずい気がする」と思ったから伝えてつづけられたのだろう。

現代では当然である「数字」を基礎とした点では、この伝承など合理的な物とは言えない。

しかしながら、この「一見不合理なもの」が多くの人を救ったのも確かである。

・・・・・

もう一度、上述の文章と、引用を読み直してほしい。

ボクシングにおいて、身を守るためには何が必要か。

ボクシングに限らず学んでいくために必要なものは何か。

『邪悪なもの』『礼儀正しさ』と『子ども』『不測の事態』というものを

別の単語に置き換えましょう。

答えはいつも書いてることばかりなんですけどね。

by 自分の文章のつもりで書き始めたが、読み直してみたらやっぱり内田樹氏の書籍で

読んだことがあることが文章の骨格になっていることに改めて気づく、かんとく

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