『執着』について byかんとく

前に紹介した『木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読了。

ワタクシの柔道経験は高校時代の体育のみ。

最後のほうにやっと組まれた乱取りも、プロレスファン故、

相手が背負いに来るのをひたすら待つ裏投げ(バックドロップ)戦法にて

自分より軽い奴相手にしかかけなかったわけである。

ま、投げたら相手が「おらー」とか言って、切れて蹴られたけども。

残念ながら当時のワタクシには、諸手刈りという発想がなかったことである。

(ちょうどUFCでホイスが優勝して、プロレスラーとしてブラジルまで道場破りに行った

アン・ジョー将軍が完全に返り討ちにされたころの話である。)

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そんなことはさておき、マサヒコキムラ。

おそらく史上最強の柔道家であり、多分史上最強の柔術家だろう。

1日9時間の練習はなんのためか、みんなが練習する3時間、

それを超えるために倍の練習をしても6時間。

おそらくはそれで強くなれるだろう、しかし勝つために相手が

倍の練習をしたらどうなるか、同じ時間では必勝とは言えないだろう。

また相手のほうが練習が少なくても一発勝負であれば

そのときは倍ぐらいの練習で必ず勝てるといえるか。

ならば人の三倍練習だ、という発想である。

非常に感銘を受ける。

勝つためにそこまで自分を追い込める状況だから、チャンピオン足りえたのであろう。

そんな性根があるから、自分を追い込む師匠にも出会えたのであろう。

まあ、そこまで競技に打ち込めるということは、

よほどの世間(つまりは身近な協力者)があったということである。

つまり彼には魅力があったのである。

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木村雅彦は幼少期、貧乏だったようである。

だから束の間の柔道の時間が楽しかったのであろう。

そこで身に着けた能力が試合で花開く、だから余計に面白い。

そうこうしているうちに進学させてやろうとおもう人間が出てきた。

その進学先でも散々暴れて、さらにトントン拍子に進んでいったのである。

同じような人をワタクシは知っている。ナニワのジョーである。

彼は勉強でも運動でも表彰されたことがなかった。

しかし親父に教えてもらい、しかも喧嘩が強ったから

やり始めたボクシングで勝ち、表彰を受ける。

そこで彼が「一生懸命やったらおれでも評価してもらえる」

そう思ったとして、不自然はなかろうと思う。

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両者に共通するのはもちろん格闘技センスというものもあろう。

また同時に一本気に打ち込む性格というものもあったと思う。

しかしながら今まで自分には全くなかった「高評価」というものをはじめて知り、

それ故に執着した部分も、あったのではなかろうかと思う。

難しいよね。

若さゆえに力を得たいというのは当然にあるものである。

力があればそれを世の中に認めさせたいと思うのも道理であろう。

しかしながらそれを追求し続ければ、いつしか壁にぶつかる。

年齢であり、人間関係であり、環境であり、まあそのほか諸々。

競技に向けて感覚を研ぎ澄ませていく能力が高かった二人であるが

ゆえに周りの考えに感覚を向けることができなかったのかもしれない。

そんなことを思ってみた年の瀬。

by まだ予定はないが、子どもができたら名前を“江利雄”にしようと思っている、かんとく

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