『回文』について byかんとく

東京の話はお礼等も含めていろいろあるがまた明日に。 

談志が死んだ。

昔ながらの回文にて失礼。

この回文は本人が生きているから使えたのであるが

だんしがしんだ。

「落語とは人間の業の肯定である」という談志名言あり。

変な話である。今日浅草演芸ホールにて前に出た高学歴若手との比較で

談志師匠は謝れない人っていう話を聞いたばかりである。

21日になくなっていたと思うと、その落語家さんの追悼の表現だったかもしれない。

そういえば立川談笑師匠がこの前の独演会で“芝浜”をやったのは、

師匠に対する何らかの決意の表れだったのか。

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東京行きの新幹線の車中にて拝読した桂文珍著の

『落語的学問のすすめ』(新潮文庫)にて

こんな言葉が紹介されていたので併せて書いておく。

「『ユーモアのセンスを持つと人間性の矛盾を楽しむようになる』と、

こういう言葉を、『人間の絆』という小説の中で、サマセット・モーム

(1874~1965)という作家が言っております。

これはまことに面白いところで、人間というのは生きていく中で

必ず矛盾にぶちあたる。矛盾だらけなんですよ。人生、生きていくというのは。

矛盾だらけなんですけども、それでもユーモアのセンスを持っている人は、

それを楽しむことができるということを、モームという人が『人間の絆』の中で、

おっしゃっています」(同著p.79~80)

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まあ先ほど紹介した談志名言、このユーモアゆえの表現であろうと思う。

それにしても落語家の先生方、勉強熱心ですね。

高校中退の談志師匠以上の教養を身につけている人間が

今の大学生にどれくらいおるだろうね。

by これユーモアであり、洒落ですと言っちゃう、下品なかんとく

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