前々から誘われていた職場関連の面々のサブカル会に参加。
というわけで落語を見に行ったのだがおもろかった。
立川談笑師匠の独演会(大阪初上陸)であるが、メインイベントは名作『芝浜』。
(『芝浜』については“落語 芝浜”で検索を。
個人的には“立川談笑 シャブ浜”ってのが好きでありますが)
なるほど、かの名作もよきにつけ悪きにつけ、“古き話”であることは間違いない。
今の時代、あるいは人間の気質に合わせてどのようにアレンジをするかってのは
「ジャブ」ひとつ教える際にも工夫の余地があろうかと思いますた。
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ウダウダとアニメソングを歌いまくったサブカルの宴は夜遅くなり帰宅。
帰ってきたら関学スポーツより下記のような新聞が届く。
そういえばまだ結婚する前、懐に余裕のあるころ、
年間契約をしてしまったことを思い出す。
↑ 盟友・関学スポーツも50周年。もっとも向こうはそう思ってない(にやり)
この記事下に1965年以降の年表(主な成績等の記録)があるのだが、
1963年の井上先輩の全日出場権獲得、1969年に西口先輩が
関西選手権兼全日予選フェザー級で優勝してから後は時代が大きく跳ぶ。
1999年に玉村博(ワタクシの同期ね)が第1回関西インカレライトウエルター級優勝、
バンタム級で南出賢一(ワタクシの一個下ね)で全日ベスト8、
2005年の森下雅彦(ワタクシのだいぶ下ね)がミドル級ランキング5位、
位しか載っていないのである。
歴々の先輩方がすべからく弱かったわけではなく、当然のごとく
全国でも関西でも成績を残された先輩方はいらっしゃるわけである。
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しかし、あらゆる意味での人間関係の構築がうまくいってなかった証明であろう。
たとえば編集部員に対して、良い情報を一言流す人間がいなかったことと
言葉としては同義になるかもしれない。
良い成績を残すならば、本人は広く世の中に広がってほしいと思ってもおかしくない。
しかしながらその友は、その心を理解して広げようとする意思がなかったか
あるいは広げる方法を持たなかったといえるかもしれない。
もっとも、何でもかんでも広がればいいというものではなく、
その意味で編集部員に連絡しなかったということも考えられるのだが、
ワタクシが長じていろんなものの見方を身につけてしまったためか。
ま、だから変なHP書いてるんですけどね(にやり)。
とは言いながら、これは競技する者にとって大きなことであると思う。
悲しいけどこれ、マイナー競技なのである。
by 来週東京出張に行くので、強豪校の練習見学の了解を得たので
業務終了後に対してウキウキしているかんとく