昨日、ウチダ先生のブログを拝謁したら、『学ぶ力』についての考察あり。
まことに勉強になる。
氏の語る『学力』とは、現在の“事務処理能力”、
或いは“記憶能力”の数値が高い事ではなく
“昨日の自分を超えていくこと”、または
“昨日の自分を超えようとする意思”であるという。
(もう一つ、師を探す能力ってのもあるが、それは今回割愛)
なるほどね、と思う。
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人民の能力差は、潜在的にある程度決まっている部分がある。
世界記録を目指す人間にはその潜在的能力の高い事と同時に、
正しい工夫と作業(世に練習ってやつですな)が必要になる。
が同時に、ほとんどの人民はどんな競技を始めるとしても
最初から世界で戦うことを意識しているひとは稀だと思う。
(女子ゴルフやボクシングなんて競技では、子どもが物心つく前に
競技をやることを刷り込む親も中に入るようだが、ニヤリ。
だが、その場合の競技は親が子に技術を授けるという
技能教育に当たるという考えを私は持っているから、
ここでいう学力の話とはまるで別世界の話だ)
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例えば、陸上競技や水泳という対記録相手の競技は
相手が世界であれ市民大会であれ、自分のスコアの向上を目指し、
その対応策を実践していくことができるのだが、
(とはいえ、水泳教室ならひたすら泳がせるか)
上記の競技はある意味『学力』が逆にわかりにくいかもしれない。
なぜなら才能がえらい割合を占めるからである。
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とはいえ、ボクシングにおいても才能の差はありえるだろう。
第一、恐怖心という要素があるから、身体能力が高いこと=強いとは
なりきらないところがこの競技の面白いところではあるが。
技術・体力とともにこのあたりを如何にコントロールしていくか、
これも『学力』に含まれる。
そういえば昨夜のテレビ番組で、“交感神経と副交感神経のバランス”
というようなことを、テレビでやっていたのでこの按配を研究することも
もしかしたらボクシング的には役に立つのかもしれない。
ちょっと考えてみただけだが。
by 嫁に「PCの上にチヂレ毛があるけど、最近桃色動画見たでしょ」と言われたので、
「いや、見てないよ。あの毛はなぜあらゆるところに出没するのかねえ、、、
そういえば昔、ご飯を炊く前の閉じた炊飯器の中に入ってて、
どうやって入ってきたのか気になったものだよ。
そういえば冷蔵庫の上とかにもいたりするんだよねえ、
何でかねえ?研究の価値ありだねえ」と答えた、学力の高い、かんとく