『自己膨張願望』について byかんとく

本日は休みだったので、大学へ行ってみる。

そろそろ一回生もグローブつけて対人練習。

とは言え、相手が打ってくる攻撃がわかっていたとしてもどうしてもビビる。

ビビッて当然である、それは恥ずかしいことではない。

要はそれに対してしっかり自分を制御し、行動できるようになることである。

そのためには今までやってきた練習を繰り返すとともに

そこにどんな意味があるのかを理解することであろうと思う。

頑張ってホシイ。

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ならびに上級生に関しては、一回生を育てるという理念はよいことだが

それだけでは意味がない。

自分は現状の能力を維持しているつもりでも、その意識こそが

自分の能力の低下を意味している。

なぜならば自分がうまくなるために必死に練習しても、

それが必ずしも有用なスキルやスタミナ、パワーに結びつくものではない。

ここまでやりきったと思える状態でさえ、上記のものは一朝一夕では身につかない。

一年生を育てることは大事だが、同時に自分自身の練習をその中に

織り込んでいかなければならないのである。

うーむ、難しいものである。

でも一回生育成と並列して、自己育成が今の練習内容でできないのであれば

そこはやはり自己育成のための第二の練習時間が必要だと思う。

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なぜならば、人間は自己の成長というものこそが楽しいものである。

その楽しさがなければ、教えていっても精神的なスタミナ切れを起こす。

また成長する後輩の前では、教える技術も少なくなっていくわけである。

であるならば、上級生は下級生に「いつまでたっても追いつけない」と

思わせるように自分自身の能力の向上を図るべきであろう。

そう、世間を騒がせた某有名司会者のように

自分の都合のいいように世の中をコントロールできるようになろう(にやり)

by 某司会者のアレコレの内容を書いた週刊文旬(仮名)を本日購入し、

“坊主の女と金”という特集を読んで裕福な寺の世継ぎってなんて楽しそうと思い、

やっぱり今欲しいものは都会の土地をたっぷり持った宗教法人だが同時に、

かつて滋賀県に住んでいた織田くん(職業:武将)が比叡山に放火した気持ちが

よくわかる、かんとく

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