『終戦記念日』について byかんとく

ここ2週間ほど、テレビ番組でも終戦特集的なものが多かった。

ゴールデンタイムのドラマは当然だが、ドキュメンタリーをよく作っている

大日本国営放送や目テレ(ともに仮名)は深夜でもよく放送していた。

ああいうのんを、ネットとDVD販売戦略に落とし込めばええと思うのだが、

権利関係とかがややこしいのであろうか。

早々に優良なコンテンツをよりよいタイミングで売り出せる方法を形にしないと、

テレビの明日もきびいしいの(にやり)。

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そんなことはさておき、この前見たDVD『ザ・パシフィック』。

アメリカ側の兵士から見た太平洋戦争をドラマに構成。

よくできていると思う。

特にDVD版は、ドラマの前に当時兵士で脚本制作へ協力した

老人たちが当時の状況を語っている様子もよくできていたと思う。

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多くの日本人は戦争を感情的に捕らえる。

あるいはそれこそGHQの宣伝政策の影響か。

「旧大日本帝国軍はミスばかり、理不尽な命令ばかりを繰り返していたから、

正義と民主主義のアメリカ合衆国の合理性に負けた」という捕らえ方の

ドラマや映画や小説によくお目にかかる気がする。

どう考えても戦争犯罪のレベルで言えば、一般に言う虐殺のレベルをはるかに

超えている原爆ですら、記念碑には米国非難ではなく、過ちは繰り返しませんから、

という表現になっている。

逆にこの表現は誰かのせいにせず、人類全体のために昇華するためのもの

という考え方もあるのだが。

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まあそのあたりのことは横に置き。

『ザ・パシフィック』は米軍もよくミスをしていた、ということが描かれている。

日露戦争の日本軍の旅順攻略並に作戦、あるいは索敵のミスによって、

大量の死傷者を出している戦闘もあった模様。

つまり後になってどんなに圧倒的な勝利に見えたとしても、

戦闘においてはミスがつきものであり、転換期によって歴史が変わりうるものである。

勝った負けたは、当時の軍の総合レベルの問題だからどうしようもないが、

どちらの兵士も同じように政府の巧みな政策と喧伝によって

自らの身体を銃前に晒してきたことにはかわりがない。

このドラマは一瞬にして多くの兵士が死に、大量の血が流れる物語である。

ハワイの戦没者墓地を思い出した。

その“場所”のかわりに、日本は“盆という時期”を作っているのか、

あるいは“盆の時期”だからと終戦を決めたのか。

by かんとく

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