『震災を前に思うこと』について byかんとく

やはり地震の影響で、仕事が忙しくなっている。

日本の中枢である、東京への影響力が甚大ということが大きな影響であろう。

まあ、耐えるしかあるまい。

被災者の心情を鑑みるに、それこそゴールが見えない状況だ。

それに比べれば、われわれの日々の業務など、ある程度ゴールが見えるもの。

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今回の津波の影響。

本当に被災者は悲惨な状況を想像すれば、胸が痛む。

津波が来るらしいぞ、だから2階に避難しよう、という考えは、

我々一般庶民にしてみれば、ごく当然なものだと思われる。

まさか、2階以上に達するほどの津波。

これを想像して高台まで逃げた人がどれだけいただろう。

高台まで逃げた人は、たまたま近くに高台があるから逃げた、という人も多いと思う。

津波が繰るなら外は危ない、だったら家の中で上へ移動しようとおもうのは、

ごく自然な考え方であると思う。

前から書いているが、私の実家は港町。

学生は嫌で仕方なかったはずであろう、急な山に上るランニングを

実施できるあの街は、海から山の距離が異常に近い。

ということは、津波が来れば岸壁に当たった津波はその勢いから

少々の堤防などものともせずせり上がって行く。

しかし、幼少のころ、地震が起きたとしても、肉親、あるいは近所の人々から

山の上まで避難しようという話を聞いたことがない。

・・・・・

同時にどれだけの人が避難する際の備品を用意できているだろう。

実は私の家にもない。

あるとすれば、一人暮らしが長かったから、簡易コンロ用のガスボンベが数本と

レンジでチンするご飯類、即席ラーメンくらいだ。

それも生活レベルが向上してくれば、いらぬ油分はとらず、

よりおいしいものが食べたくなるため、最近では冷凍うどん、棒ラーメンなどに

シフトしているのが現状。

人間はそうやって、野生というか、危機意識を失っていくものかもしれない。

現代の日本で、こんな悲惨なことがなければ、

我々は自分の人生が永遠に続いていくものと錯覚する。

が、人生はいろんな意味での偶然の産物、偶然の僥倖の下に成り立っている。

生き残るためになにをするか。

言うはやすし、が行動に直結させることは実は本当に難しいのかもしれない。

とりあえず、私が思うこと。

避難用具を用意するとともに、そこにサバイバルの本を忍ばせておこうと思う。

たとえ、ワタクシが何かあったとしても、近くにいる人が生き残るための

ひとつのバイブルになる可能性もある。

by かんとく

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