『イリュージョン』について byかんとく

先般、情・恋済ショータイム(仮名)をやっている、有料テレビ局の番組を観る。

番組紹介のCMを見て、これは見なければならないとおもったのが、

破天荒という枕がつくほどの落語家・立川談志と、

その遺伝子を引き継ぐ弟子たちの現代を切り取ったドキュメンタリー&落語会の模様。

非常に趣深いものであった。

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このHPを読んでいる人の中には、おそらく多くの若者(大学生)が含まれる。

ゆえに、「落語なんぞ年寄りくせえ」と思うことであろう。

ワタクシは、そういえば昔から落語というものが好きである。

まあ世の落語通にしてみれば、嗜む程度にも達していないのだが。

小学生のころ、町内放送で「子ども会の皆さん、五時になりました。

みんな遊びをやめて、早くおうちへ帰りましょう」というアナウンスが

日曜日も流れていた。そして帰ったら、長寿番組の”昇天”(仮名)をよく観ていた。

変な小学生である(にやり)。

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そういえば高校の行事で、文化に接する会というのがあった。

その年以外の2回は能とかオーケストラとか至極まともであったが、

”文鎮”(仮名)一門がきた。

狂言とかオーケストラのときは、よく寝ていたとおもう。

何せ記憶がない(狂言に関しては、犬の鳴き声だけ記憶している。新鮮だった)。

でも、落語。すごい面白かった、と言っていた同級生が多数いたと記憶。

言葉と動きだけで”魅せる”。

面白かったのだが、進学校であったわが高校の先生は何のつもりであったのか。

大学受験せずに落語家になる、という人間が多数出たら

どうする気だったのだろう。きっと査定に響く(にやり)

長じて社会人になって、落語家と仕事をしたこともある。

とはいえ、彼らの仕事の場所を打ち合わせしただけだが、

ちょうど大阪に”天満天神繁昌亭”ができた後位か。

落語家がどんな生活をしているのかを垣間見た。

そんな経験があったからか、この番組非常に面白かった。

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立川談志、ものすごい人であるという。

一般に言われる落語の”落語協会”にも”落語芸術協会”にも

属していない。独立一門である。

弟子が語るに、この独立、”成り行き”であろうとの見方。

自身の著書でも”成り行き”について書かれているらしい(ワタクシは未読)。

彼の、落語というものを語る際にいうのが”イリュージョン”ということである。

イリュージョンとは何か。

落語は人生の端々、きれいなものだけでなく、醜いものドロドロしたものらしい。

まあ、この表現、私のつたない文章ではなんのこっちゃであろう。

再放送が4月1日にある模様。

興味のある方はごらんあれ。

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それはさておき、立川流の特徴。

この一門、ほかの協会とは異なり、昇進するために”明確”な試験がある。

そのことは前に書いた、『5人の落語家が語る~ザ・前座修行~』にも書かれている。

二つ目は落語50席と歌舞音曲、真打は落語100席と歌舞音曲。

ほかの落語家はその基準というものが、一般人にはわかりにくい部分があるというが、

この一門が繁栄するのは、家元たる談志のパワーとともに、

そこにひとつの基準があるから、”明確”に修練できるということもあろう。

しかしそのゴールである、真打になった後が大変でもある。

なぜならば、そこから先は自分で考えて行動していかなければならない。

談志自身、数々の名作を多数見ている様子が、番組内で取り扱われていた。

また、弟子の一人も談志に負けないほどの映画通であったり、

滑舌が悪いという自身の特徴から、アナウンス学校に通ってみたり、

日常生活に根ざした、或いはテレビで見るようなサスペンス調に

古典をリメイクし、「現代人が納得できるもの」にしたり、

いろいろとやっている。

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すべては落語とよりよいものにするため、であるが、

そのためのモノの取り入れ方には、創意工夫のあとが散見される。

今まで自分自身が経験したもの、身についているものだけでない。

自分の求めるもののために、こういうものを取り込んだらどうなるのか、

と同時に知っているけどこれはあえて使わずにおく、という試行錯誤の姿勢が

”イリュージョン”を生み出す第一歩なのであろう。

何をやるにも非常に重要なことだと思う。

勉強になった。

by かんとく

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