『屋台骨』について byかんとく

普段は注目される機会の少ないマネージャー、スタッフへの

慰労の会をOB会長に開いていただいた。

ありがたい。

思えばワタクシは学生時代、不遜にもマネージャーに対して、

「競技もしねえで、人の世話ばかりして楽しいのか?」と思っていた。

もう時効だということで書くが、ワタクシは

ボクシング部に入るということは、ボクシングをするということであり、

それ以外のボクシング部員というものを、一段下に見ていた感がある。

ボクシングというものは自分ががんばれば結果が得られるものであり、

マネージャーやスタッフの有り無しが、あるいは彼らの情熱が

勝負事に影響を持つとは考えていなかったのである。

まったくナッテイナイ選手であった。

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とはいえ、この考え方が当時のワタクシのみに当てはまるとは

言い切れないのが、残念なことであるが、新人には当然のことでもあろう。

やっぱりボクサーというもの、強さというものに憧れて

ボクシングをやってみようと思うものである。

競技しないのに関わる人間に対する観察の機会は、なかなか持てない。

なぜならば自分が競技者であり、競技しか目に入っていないからだ。

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以前にもHPに書いたことがあるが、ワタクシが監督をしてからのリーグ戦で

麻疹が流行したことがあった。

大学内に感染者がいたので、関学は早々に大学活動の停止を発表。

他部は試合ができないという部もあったが、われわれは適時対応できるタイミングで、

部長先生や近畿リーグ(現関西リーグ)との打ち合わせができ

なんとか1試合だけ不戦負けとし、後の競技に参加することができた。

が、最終戦の日、一人の人物が必要書類を忘れた。

本来ならば出場できない大学であるが、対応策として出場予定選手に

書類を提出することで、そのチャンスをいただいたにも関わらずである。

このとき、確かに書類を忘れたのは、その彼一人であったけれども、

部員の一人一人の普段からの物事の考え方が、間違っていたということだ。

認識が甘かった、或いは幼かったということでもある。

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結局二部リーグは優勝した。が、ワタクシは入替戦辞退を決めた。

それを知った最上級生は、その悔しさ、やり場のない気持ちから泣いていた。

その当時の部員は一生懸命に練習しており、やはり一部リーグに上がることを

目標にがんばっていた。それは間違いない。

が、一生懸命がんばるだけで、周りの状況が見えていないチームだったのである。

それは組織とはいわない。

当たり前のことを当たり前に実行できる、そのための準備も

チームとしての力である。

一生懸命やっているその力、そのベクトルを障害物を避けて

最大限に活かす方法を考えることが、リーダーには求められる。

その意味では主将なのだが、主将もまた競技者である。

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それをフォローするマネージャー、スタッフの力が

チームには間違いなく必要なのである。

その意味で、当時のチームはまだ一部に上がる実力がなかったのだと思う。

今は”たまたま一部”という状態である。

もし、同じような危機が起きた場合、ワタクシほか指導者の考え抜きでも

仮説を立て情報を収集し、この方法でと進言できるよう、

対応できるものを考え出せるようになって初めて

大学スポーツの、1部所属チームと胸を晴れると思う。

選手に限らず部員にはそうなってほしいし、

そのためにはやはり自力以外のものが必要。

マネージャー、スタッフという人たちも、真摯に物事を考えたのであれば

臆することなく話のできる部にしたいものだが。

by かんとく

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