海保の主任航海士が中国漁船衝突事故をネット公開した件は
ネット世界が当たり前になった現代において、
当然起きうるべくして起きた事件だろう。
かつてネットのない時代では「この事件、世に問う!」という人間がいれば、
マスメディアに情報をリークするしか方法がなかった。
良い悪いは別にして、正当性を世に訴えるには
メディアの人間に、理路整然と、時には情緒に訴え、
時にはそのリークがどれだけそのメディアにとって有益かを交え、
その人物に伝わるように工夫して話をしなければならなかった。
非常に面倒くさいことであったのだが、それが世の常であり、
世の中のルールであった。
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通信というものの利便性が高まり、通信の種類も格段に増えた現代。
利便性の高まりは、自己の意思をより簡単に拡散できる世の中となった。
物事の行動を起こす前の障害が減ったことで、思い立ったが吉日と
行動が起こせるようになったのだが、
このことは同時に、本来人を介して行動を起こす場合に考えられる、
障害があるゆえの葛藤、あるいは「本当にこれで良いのか」という
自問自答の機会も排除することにつながったのではないだろうか。
面倒くさいからこそ、「やはりやらなければ」と心に強く思うことや
「これをやっては別の意味で問題があるのでは」という判断の機会。
それが失われたのであれば、結果が出てから「大変なことになった」と
後悔する可能性がより多くなることも含まれている。
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そんなことを考えながら、先般購入した本。
柳田邦夫著『壊れる日本人~ケータイ・ネット依存への告別~』(新潮社)
文庫で購入したのだが、初版は平成十七年の発行。
一番のキーワードは、「便利なものの副作用」と
「人間が持っている曖昧さ」というものである。
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以下、上記2つのポイントについての私の意見。
人間というものは便利なものに弱い。
便利なものがあるから、あるいは便利なものがほしいから、
現代社会が成熟してきたといえるのだが、
あまりに便利なものがありすぎて、不便なもの、合理的ではないものを
ことさら忌避するようになってしまった。
私が大学生であったころから、日本企業はグローバルスタンダードで
勝ち抜くために「筋肉質な組織」を目指し、”リストラ”や”Kaizen(カイゼン)”
を行い、”派遣制度”が企業とキャリアを積みかさねられるとして
従業員にも、世の救世主という立場で登場した。
当初は認められていなかった”製造業への派遣”という制度も
いつの間にやら制度化された。
そして今の世の中は、合理的の名の下、企業というものが
だいぶアメリカナイズされたといえよう。
収益を上げられる人員(つまりは便利な社員)は厚遇され、
そうでなければ冷遇されてもOK、自己責任なんで甘んじて受け入れろという
風土が醸成されてきている。
まあ企業はしょうがない部分もある。
勝ち抜いて収益を上げるということは、会社という制度ができた時点
(大航海時代?)で求められていたことだから。
が、社会が成熟してくるにつれて、会社の社会的意義、社会貢献という概念も
企業が背負うものとして認められてきた。
が、社会は今それを手放そうとしている。
企業の行き過ぎを統治するための機能が、企業を取り締まる立場である
国や社会から失われているのかもしれない。
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ものひとつの人間が持っている「曖昧さ」という点。
これもグローバルスタンダードが進み、合理化することが当然となる中、
「曖昧な表現」は無意味として捕らえられ、
簡単簡潔な意味を求められるようになった。
給料のために仕方なしに合理的になった現代人は、
いつの間にやら、会社とはまったく別の成り立ちである組織の家庭や
あるいは生き方、暮らし方にも合理性を求めるようになったのかもしれない。
「世の中から高評価の子どもを育てることこそが、親としての責務。
=給料がよく、ブランド力のある企業に就職させなければならない。
=そのためには良い大学を出ないと。
=そのためには悪い環境に子どもをおくべきではない。
=環境の悪い校区は避ける。
=その方法として、良い校区に引っ越す。(orお受験して私立へ)」
となっているように思う。
だが、それだけが人が生きていくべき方法でないのは
誰もがわかっているのに、誰もがこのレールに乗りたがってしまう。
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まあ大人はそれでいいのかもしれない。
がその影響をモロに受けるのが子どもである。
「そこばかりに意識が行き過ぎてしまうから、子どもの人格形成に
影響が出ているのではないか。
大人はもっと子ども(自分の子ども)と向かい合うべきでないのか。」
と上述『壊れる日本人』で著者は語っている。
おとなしい子、親の言いなりの子が良い子だと評価するのではなく、
「子どもは泣くのが当たり前、だからそのとき傍にいる」となれる親の存在こそが
子どもが人間関係を形成できるようになる上で、最も重要だとも。
別にこれが答えだ、というつもりもない。
これが答えだ、と言い切ってしまえばそれこそ、ゼロサム主義の
グローバルスタンダードの中に身を落としてしまう。
わからん、でも時に考えることも人間に与えられた能力だと思うのである。
まあ、『壊れる日本人』、就職活動中の空き時間にでも読んでみては?
こういった考えは面接で言わないほうが良いと思うが(にやり)。
by かんとく