『日々』について byかんとく

遅くなったが、土曜日の練習について。

立教戦に向け、出場選手は調整中。

調整中であっても、サンドバッグはしっかり打っていたし

サーキットもがんばっていたと思う。

でも、人間、盛り上がってない環境では、

なかなか自身のリミッターを振り切れないものである。

人数が少ない。

すごく、悲しい。

不況真っ只中の就職活動の影響か。

だが、そんなときに上級生が不況に翻弄されていては

下級生にとって見ればいい迷惑である。

何やかんや言って、大学はじめの素人ばかりであった過去のボクシング部が、

2部とはいえよい成績を残してきたのは、四回生が本気で取り組んできたことが

一番の理由だと思う。

・・・・・

そういう先輩たちは、四回生になったときの戦績が非常によかった。

チームとしてポイントを獲れるという選手は当然に獲ってきたし、

相手が強くて微妙だと思った選手でも、真摯に自分のすべきことをし、

ある者はポイントを獲ったし、ある者は勝てないまでも

真摯に取り組む姿勢がチームにいい影響を与えていた。

一人が負ければ相手の強さによって「うち、負けるんじゃないか」

と思ってしまうのは誰しもあることだ。

だが、そのあきらめというものを感じさせないことへも、大きな評価を与えたい。

・・・・・

そういう意味で、就職活動のときこそ一番自分自身と向き合えるチャンスだ。

あれもほしい、これもほしいと思うことは、人間であれば誰しもある。

が、あれがほしいからこういう部分だけは絶対に怠けず、

これもほしいから、この準備だけは絶対に怠らない、と思える時期なのであり

かつ、実際にそれができる時期である。

毎日淡々と過ぎていく日常は当たり前のもので、

そこまで突き詰めなくても、それはそれで生きていけると思えてしまう。

今までに良い成功体験を積み重ねてきたものは、

結果としてそれが当たり前になっているからできる。

でも人間悲しいかな、そこまで到達していない多くの人間には

なかなかそれができない。

ワタクシだってそうである、「今日くらいは手を抜いてもええか」と

思うことは一日の間に、一度や二度ではきかない。

・・・・・

でも世の中で成功しているといわれる人は、

その人のセンスや環境もあるかもしれないが、

大事にしているものに対して、やはり手を抜かない。

大きな目標であれば、手を抜かないからといって

必ずしも手に入れられるものではない。

でも、手を抜いている人間が大きな目標を得られるだろうか。

得られたとしたら、それは大きな目標ではなく、

何もしなくても当然に手に入れられる程度のものではないだろうか。

・・・・・

別に今の3回生が手を抜いてるとは言わない。

それぞれに目標を持ち、工夫しながら行動していると信じる。

「就職活動で」というのを大言壮語にせず、「就職活動」という日常で

自分ができる何かを、見つけられる人間になってほしい。

それが社会人になってからこそ、求められる大事な要素である。

まずは、今日の一日、気づいたことをほったらかさず、

やるべきことをやる、そのための時間がなければ作る行動を起してホシイ。

by かんとく

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