『適応と迎合』について byかんとく

午前0:10、先ほど帰宅。

丁稚先の歓送迎会であった。

3名の方々への、前線への派遣が決まった。

この不況のさなかに営業職になる。

大変であるので、直上のお世話になった先輩には高級マフラーを購入。

残念ながら、我が家の最寄の高級スーパーで購入する訳にはいかない。

半球電鉄系(仮名)で購入する。

こういう場合には、使い勝手とか肌触りなどの正味の中身の云々よりも、

熨斗と包装がものを言うのが日本社会である。社会人経験浅い人間は

よく覚えてほしい。安くても熨斗、包装を重視せよ(にやり)。

・・・・・

その会が宴もたけなわの頃、”goldenboy-云々”という

いたいメールアドレスの人間から着信あり。

ちょい前に卒業した、フライ級の”お家畜”であった。

教師の採用が決まったという。

千葉の人間にもかかわらず、大阪採用だという。

地元を離れて、わざわざ大阪で採用試験を受けたことには賛辞を送るべきだが、

昨今の教師は大変である。

間違って、”主幹教諭”になったら、心を病む人間も多い様であるし、

何より新人でやめる人間の多いことを、朝のニュース番組で

「俺ってスポーツ詳しいよ」という雰囲気を漂わせすぎな、

カツラ疑惑のあるキャスターが語っていた。

・・・・・

確かに、問題のある先生も世の中には多いようで、

算数の考え方を語るのに、わざわざ”殺人”を例に出すというイタイ奴もおるらしいが、

じゃあ、問題のある先生がまったくいない公立校というものが存在したとして、

そこで育った人間は、大丈夫なんか?という気になるのはワタクシだけか。

”アイツうっとおしいわー”とか、”あの先生、実はこんな過去らしいで”みたいなんが

まったく無いような教育者ばかりがいたとしたら、

例えば、性質の悪い人間に、よりだまされやすくなるような気がするのは

ワタクシだけだろうか。

というかそんな人間が当たり前にいるのが、世の中というものじゃなかろうか。

・・・・・

まあ、学校の先生に”そのあたりを求める”のも違うが、

学校の先生に”そのあたりと違うものを求めすぎる”のも違うんじゃなかろうか。

子ども等にそんな世の中に適用し、生きていくことを教えることが

大人に課せられた使命であるように思うのである。

場合によって、子供に嫌われてもいい、でもそれを伝えるという使命感、

それを世の中に適用しながらも、迎合せずに教える先生に

お家畜にはなってほしいと思います。

by 丁稚先で上司の言うことをヘイヘイ言い過ぎているかもしれない、

だからこそ、部室の中心で毒を吐く、かんとく

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