『古典とOh My God Together!』について byかんとく

本日、OB会の繋がりで、とある法学部政治学科という

ワタクシの先輩に当たる方の会合に参加。

会場はホテル。

でも、あんな会は生まれて初めて、であった。

みんな、政治を語る会に参加してください(にやり)。

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その後、最寄り駅にて副会長と鯨飲会。

そのときの会話。

かつて強かったOBの話。

今ならボクシング情報なんてネットでウィキどころか

優チューブなり、なんなり調べられる。

がそれができない、昭和30年代から40年代。

そのとき強かったOBは何をしてたか。

まあ考える空間にしようと思うので、いつも間に挟む・・・・・を

ちょっと多めに置いてみる(にやり)

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 さて何だと思いますか?

正解は、英語で書かれたクラシックな原文を読む、ということである。

まあ、なんとも面白みのない答えである。

でも、彼らは分からないこそ、原点である英国の文献を当たっていたのである。

(ボクシングの原点は諸説ある。だが、近代ボクシングの原点は

英国のパブでのショーが起源という説もある)

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人間は、たとえばクリティカルな衝撃を受けるものに関して、

その原点をなかなかクラシカルなこと(古典)に求めない。

人間はホッとした最後に間違いを犯しやすいんだよ、ということを

今の若者が「過ちすな」(木登りの名人に関する日本の古典)とは

なかなか言わない。

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だが、結局人類が思うこと、考えることなぞほとんど一緒である。

例えば思うのである。

毎日走ったら体力つくだろうなあと。

まずはその”ほとんど一緒”のことを自分の中で”当たり前のこと”と

理解できるか、否かはその後に、何年かたてば大きな違いが出てくる。

それが出来れば毎日走れるのである。

そのうちの距離が伸びるから、筋力もスタミナもついてくる。

毎日みんな首の筋トレは出来ないのである。

なかなか結果が見えないからである。

でもそれを続けるかどうかで、その後にダメージを”受けた後”が変わってくるのである。

誰も教えてくれないが。

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思えば、かつてワタクシは小学生から英語を習っていた。

が、「英語に何の意味がある?」と思いながら、20年たった。

その結果「オーマイガット・トゥギャザー」しか言えない(にやり)

by でも”オーマイガット・トゥギャザー”を最大限活かしていたりする、かんとく

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