才能について BY かんとく

慶応戦の結果を書かなければならないが、

手元に詳細がないのでまた後日で。

KGファンの皆様には申し訳ないかぎり。。。

さて、表題について。

慶応戦について書かないくせに思ったことについては書く。

まったく理不尽なHPだ。

わがままが過ぎる。

・・・・・

よく言う言葉に「続けることできるのは才能だ」というのがある。

確かに。

10日前にできないこと〈たとえばボディの打ち方とか)が

10日続けたらできるようになり(形になり)、

11日でよりよい形になり〈体重が乗るようになり)

20日でいつでも打てるようになる(スパーリングで出るようになる)。

指導者としてはそういうタイプの選手に技術を教えていけば

その選手の体に自分の技術が遺伝子のように残っていく。

今の学説はわからないがRNAだ。

親の遺伝は子に残る。

・・・・・

と、ふと思った才能。

某KO大学のキャプテンと話して感じたこと。

私が計量するときに云々の会話〈対抗戦なので相手校が立会いなので)、

あるいは試合後のセコンドへの試合の感想。

その姿勢は一競技者として尊敬に値するものだった。

だから、もし彼がたまたま何かの機会に飯を食うとして

そこでいろいろ話したら、多分いろんな技術を詳細に教えたいと思う。

無論、その中には自分で体得しているものもあるかと思う。

だけども、推論だがフンフンと彼は聞くだろう。

 その結果は、10私が言ったことに対して彼にとっては1にしかならないものを

彼は自分の利益にするだろう。これも才能。

・・・・・

さてさて。 

果たして選手は自分に技術を教えてくれる「かも」しれない人のことを

どれだけ考えているだろう?

いつもの試合の検診時にいつもいるあのめがねの人に

ちゃんと挨拶しているだろうか?

いつもいるあの柄の悪そうなおっさん(フィクションですよ!)に

所属大学、階級、そして「お願いします」の一言をちゃんといえているだろうか?

選手にとっては試合風景の一部という人たちは

それぞれに所属する会社があり、家族があり、そして自分の時間があるはずなのに、

それを横にどけておいてボクシングに取り組む若者のために

時間を割いている人たちだ。

無論ボクシングが好きだからだけれども

と同時に真摯にボクシングに取り組む姿勢を持つ次世代を

 大切にしたいと考えている人たち。

・・・・・

ジャブやジャブやというていますけれども、

練習は試合に対するジャブ

人の生き方としての挨拶とか会話というジャブを

もう一度考えてみよう。

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