『掃除』について byかんとく

昨日の読売新聞(1/29)に「ネット中傷は『イジメ』、

自民、防止法骨子案」という記事があった。(以下、その要旨を「」にて記載)

要はイジメとは昔ながらの「暴力、仲間外れ、私物を隠すなどのほかに

ネットでの中傷」も具体例として取り込まれるというものである。

運用として、「学校に積極的にいじめに取り組め」、というのはもちろん、

「第三者機関を設置するといい、児童らの生命、安全が脅かされていれば

直ちに警察に通報しなければならない」という。

時代が変われば、ツールも変わる、よってイジメの運用も変わるので、

対策も変わって当然。だが今更感は否めない。

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それはいいだろう。

ワタクシが気になったのはこの点だ。

「学校長や教員には、学校教育法に基づき、いじめを行った【在籍児童】らに対し、

【教育上必要がある場合】は、適切な懲戒を加えるように規定した。

懲戒は、【罰として掃除を科すなどの措置】が想定されている。」

【】はワタクシがどうかなと思ったところであるが、

まず【在籍児童】という規定。その学校の在籍でなければ罰は与えないという事である。

ということは、転校さえしてしまえば許されてしまう可能性が高い。

次に【教育上必要がある場合】、誰が判断するの?

ちゃんと線引きできる先生がいればいいが、と思うのはワタクシだけか。

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そして、もっともワタクシが疑問に思った点は【罰として掃除を科すなどの措置】。

ワタクシは義務教育期間、学校に行っているときは毎日掃除をしていた記憶がある。

あれは罰だったのか?罰だとしたらいったいなんに対する罰だったのか?

まあワタクシにとってみれば、そんな偏屈な文句を言うための素材なのだが、

児童たちにとってみたらどうなのだろう?

悪い奴がいさえすれば、そいつが罰として掃除をしてくれるならば、

悪い奴を早めに見つけ、先生に通報すればいいと考えないだろうか?

・・・・・

前にどこぞのTV番組で観たのだが、サウジアラビアの学校で、

日本の制度を見習って掃除することを児童に課したという。

イスラムの教えでは掃除は推奨されることらしいのだが、

実際の社会では使用人がやってくれるというのが当たり前で

環境を綺麗に保っておくという感覚が段々と薄れていっての今である模様。

しかし多くの文化圏・宗教圏において掃除を行うことは

自分、あるいは自分たちのためであるという認識であるから

それが戒律であり、文化的重要性を持ち得てきたという事だろう。

(尤も階級として掃除階級がある文化などはこの際横に置く)

・・・・・

ということで、掃除を罰として与えるという感覚は理解できない。

どうせ罰を与えるならば、意味もなく穴を掘らせ、その土を戻す作業を

繰り返させたらいい。それこそ本当の罰であろう。

人間は意味を持たない作業が嫌いである。

だからいろんなものに意味を持たせようとするのだが。

まあお手伝いさんがいるようなセンセイ方の考えることだから

そうなるのかもしれんがね。

by 掃除が苦手な、かんとく

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