『時代の変遷と本質』について byかんとく

つい先ほど帰宅したのだが、帰宅途中で西宮北口で茶髪の大久保を発見。

何かムカついたので近寄っていき、肩をぶつけながら「なにしとんねん」を

100回ほど言ってスッキリしたので、小林駅に帰宅。

多分ツイッターかフェイスブックかに書くんだろうな、

そしてそのうち、かんとくに見つかるんだろうな(にやり)

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そんなことはさておき、本日OB幹事会。

関学125周年とボクシング部85周年に合わせての行事の準備に関する会議。

その時の話に出てきたのであるが、平成卒のОBが

ОB会全体の6割を占めるようになったそうな。

まあそれはそうか。

平成も23年になったわけだし、昨今は一学年10人が普通だけれども

昭和50―60年代の世代は一学年の人数がかなり少ない時もあった模様。

時代は移ろいゆくものである。

だから大久保が茶髪でもワタクシは責めない。

別に彼が悪いわけではない、五輪卓球で石川が負けた中国の選手も茶髪だった。

大久保だけが悪いわけではない、時代がそうなのだ(にやり)。

・・・・・

というわけでワタクシ個人には全く関係のない五輪を見るにつけ、

賄賂が送られてようが、明らかなミスジャッジだろうがどうでもよい。

五輪なぞ、戦争する代わりに自軍の戦力を誇るために行われたものよ。

陸上の投擲にしてもレスリングにしてもボクシングにしても、

初めからオリンピックにある協議はそうでしょ、最近なら近代5種。

それならば圧倒的に強ければいいじゃないか。

今後の目標としては、殴ったら相手の手がもげた、っていうパンチ力を

関学ボクシング部は求めていこうと思います。

by かんとく

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