『恐怖心と畏怖』について byかんとく

昨日、久々に走る。そろそろ準備をする必要があったのである、

渚の海の女どもを掻っ攫うための。

と言い続けて早15年、まだ結果が出たためしがない(にやり)。

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戯言はさておき。

走っていると暇なのでいろんなことに思いを巡らせることになる。

走りなれていない者は往々にして、

どこそこが痛いだの、つらいだの暇だのと考えてしまいがちなのであるが、

慣れてしまうと、そんなこと思っても問題は何も解決しないことがわかる。

というか解決しないことをずーっと考えることこそストレスである。

それならば別のことを考えるしかないということで、いらぬことを考えるので

貧しい港町・呉の山道を走っているころを思い出す。

(貧しい港町・呉には海と山が95パーセントを占めているので走るなら主に山。

昨年までの夏合宿はいやというほど走らせたので、

2回生以上、卒業3年目くらいのOBは嫌でも記憶に残っておろうが。にやり)

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貧しい港町にいたとき、ワタクシが中高とバレー部に入っていたことは書いた。

(バレーをしてたら背が伸びると思って6年やったが、

高いやつがやるものだと気付いたのが引退間近であったのが無念)

そんなことは良い。

中1の時は指導者がやる気がなく、きちんとバレーを教えてもらえなかったが

中2のときにボディビルで無用に鍛えたティーチャーが顧問になった。

いやというほど練習をやらされて、3年のときには市内では強いチームになったのだが

その時のトレーニングにおいて最初から最後までずっと言われたのが

基礎の動きの体の使い方であった。

アンダーパス、或いはレシーブにおいて、そのティーチャーはこういった。

「腕を組んで振ることでボールをセッターに運ぼうと思うな、

脚の屈伸運動でボールを思うところに持っていくように」

まあこの方が安定性が高いからなのだが、もう一つ言っていたのが

「腕を組むのは下で組むな、顔の前で組んで球が来たら下へ」

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良きにつけ悪きにつけ、ワタクシの1つ上の学年はトミー(仮名)という

非常に優秀なアタッカーがおり、基礎が出てきてなくても4強に入るチームであった。

いうなれば基礎ができれば、簡単に優勝できるチームだったわけである。

その練習相手は我々1つ下の学年がレシーブをしたりするわけだが

それがゆえに結構みんなビビリィになってもいた。

変に前衛近くにいたらトミーのスパイクが顔面直撃である。

ということでみんな取れなくても良いとは思っていないのだが、

それ以上に本能的にダメージを恐れていたといえる。

そういう素地があった段階での上述ティーチャーのアドバイス。

確かにこの方法なら怖くないから、球から目を背けることがなくなった。

やっぱり一工夫というのも大事なことですな。

(というよりもボディービルのティーチャーの方が単純に怖かったのかもしれないが。

まあO2市(仮名)のいじめ事件の先生の態度への話じゃないけども

先生が生徒から「只者ではない」と思われるというのも大切なんですけどね。

世の中の「先生は聖人君子であるべきで強さを持つべきでない」という判断も

どうなんかな、と思ったりもします。)

by かんとく

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