『真似』について byかんとく

昨日は久方ぶりの夜勤。

最近は早寝早起きであったので、すごく眠かった。

仕事が終わって仮眠する際、ものすごくよく眠れた。

今くらいの時期が一番すごしやすいもんですな。

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さて、先般のリーグ戦の帰り道に読んでいた本について。

みうらじゅん著『マイ仏教』(新潮社)。

みうら氏といえば勝手に“マイブーム”という言葉を作り、流行らせ、

誰も興味を持っていない仏像に対する愛着を滔々と語る『見仏記』なるものを書き、

今じゃあ仏教ブームですからな、いい人生ですな(にやり)。

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それはさておき、記述があったので引用してみる。

「『本当の自分とは何か?』『自分らしさとは何だろう?』ということを、

どれだけ真剣に考えようと答えなんて出るわけがありません。

~中略~

だからといって、すぐに自分をなくすことができるかというと、それは大変難しいと思います。

でも方法はあるのではないでしょうか。

それは誰かに『憧れ=なりたい』と思うことです。

円谷英二しかりお寺の住職しかりボブ・ディランしかり。

『その人になりたい!』と思って、必死で真似をしているとき、自分はなくなっています。

その人になりたいと思って、できるだけ真似をする。

つまり誰かを好きになって夢中になる、という癖をつければいいのです。

それは、自分をなくしていく技術を獲得することでもあるのです。」

(上述『マイ仏教』みうらじゅん著、新潮社p.93~94)

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うむ、ええ話である。

みうらじゅん氏は幼少期、怪獣が好きだったようである(フツーの子供的)。

その怪獣好きが、祖父が見せてくれた仏像の写真などで、

“人型であるけれども人間を超越した異形の存在感”が、

仏像好きに転じたという。そこから坊主になりたいと思ったそうだが。

いわれてみると似てるかも、と思うけどもその感覚が

一般人の感覚にはなかなか見つけにくいものである。

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みうら少年はそこで熱中する、人の真似をする能力があったのだろう。

まあ、一時期の“自分探しブーム”は今は昔、今の学生は草食系といわれるけども

同時に情報過多で何かの行動を起こす前に、冷静すぎる感がある。

いいんですけどね。

いいんだけども、「あの人の真似をしたい」と思っているときの情熱こそ

何かしらの結果を出す上で大きな意味があると思う。

せっかくだからね、そういうものを見つけられたらいいねえ。

だからリーグ戦に限らず、試合を見ておく、というのは意味があると思うわけである。

by かんとく

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